2009年9月21日月曜日

南半球のインフルエンザ流行状況

南半球は冬のインフルエンザシーズンを終えました。現地の感染状況や症例調査は、これから冬を迎える北半球の人々にとって重要です。アメリカ政府が作成した報告書を見つけたので内容を紹介します。

Assessment of the 2009 Influenza A (H1N1) Outbreak on Selected Countries in the Southern Hemisphere
は保健社会福祉省などが09年8月26日付で作成したもので、アルゼンチン、オーストラリア、チリ、ニュージーランドとウルグアイの状況を概観しています。

アルゼンチンはアメリカ、メキシコと並んで新型インフルエンザ関連の死亡者数が突出して多い国です。何か特殊な事情があるのか、それとも単に定義や報告体制が違うのか、今回の報告書では明確ではありませんが、何れにせよ、症例数が多いことはそれ自体価値があります。


南半球の新型インフルエンザの特徴




  • 流行期間:季節性インフルエンザと大差なかった。最初の感染者が報告されたのは4-5月、インフルエンザ様疾患がピークをつけたのは6月下旬から7月上旬で、ピークまで6-7週間だった。

  • ウイルス亜型の構成:当初は季節性ウイルス感染もあったが、新型が増加した後は圧倒的多数を占めるようになった。

  • ウイルス株:南半球で流行した株はアメリカで発見されたものと類似しており、新型インフルエンザワクチンに採用された株は現在流行しているものとマッチしていることになる。ほぼ全ての株はノイラミニダーゼ阻害剤に感受する。これらの五カ国の抗ウイルス薬治療対象は、感染が確認された重症例、疑い例、感染者や疑い例と接触した合併症のリスクが高い人だ。

  • リスク因子:パターンはアメリカと類似。一般的には病状は軽い。感染者は学童と65歳未満の成人が圧倒的に多い。致死的な例はごく少数。合併症のリスクが高いのは妊婦や持病を持っている人。オーストラリアやニュージーランドでは先住民の入院率がそれ以外の人たちと比べて各5倍と3倍、高い。アメリカは死亡例の71%が25-64歳の人だが、南半球でも同様。死亡例の47-60%はインフルエンザ合併症のリスク因子、例えば慢性肺・心血管疾患を持っていた。

  • 感染予防策:学校閉鎖、大規模集会・イベントの中止、自宅静養・隔離などの手段が取られた。

  • 医療施設の負担:ヘルスケア・システムはストレスを経験したが、全般的に局地的、短期間に留まった。流行の初期段階では入院、救急科、外来が急増した。一部の国では病床数や器具、医薬品が一時的に不足した。

  • 経済影響:現時点では明確ではないが、外出自粛推奨や旅行者の減少で一時的・局地的な社会・経済影響があった。アルゼンチンは感染のピーク時に、妊婦などリスク因子を持つ職員が休暇を取る制度を導入し民間にも勧奨した。海外からの旅行者が減少し、国内の旅行や飲食、消費も影響を受けた。一方で、軽微な影響に留まった国もあった。

  • 留意点:これらの国の医療制度はアメリカとは異なっている。また、新型の登場のタイミングもアメリカはシーズン入りの前、南半球はシーズンが始まった後と異なっている。更に、冬が終わった後の流行パターンは明確ではない。

インフルエンザ関連の入院・死亡数
人口入院数死亡数
アルゼンチン4,091 万人6,346(15.66)439(1.07)
オーストラリア2,118 万人4,122(19.38)132(0.62)
チリ1,660 万人1,325(7.80)128(0.78)
ニュージーランド421 万人915(21.71)16(0.38)
ウルグアイ349 万人na(na)34(0.97)
参考:アメリカ30,726 万人7,983(2.60)522(0.17)

注:カッコ内は人口10万人当りの発生率。アルゼンチンとチリの入院数は重度急性呼吸器感染症による入院で、幼児のRSV感染も含んでいる。それ以外はH1N1によるもの。



死亡例の特性分析を国別に見ると、アルゼンチンでは50-59歳が一番多いとのことです。また、サンプル調査によると死亡例の47%がリスク因子を持っていて、肥満が18%、心疾患が8%、COPDが7%。肥満がリスク因子という話は聞いたことがありますが、トップは意外です。女性でリスク因子を持つ82例のうち、妊婦・出産後が19.5%を占めていました。

オーストラリアでは73%が65歳未満でした。入院例で一番多いのは5歳未満ですが、ICU収容例は80%が30-59歳でした。入院例の4%が妊婦で、25-35歳の女性の入院例の35%を占めました。

アルゼンチンやチリはRSV感染も含まれているのですが、それにしても、アルゼンチンの5歳未満の10万人当り入院率は39.09と国民平均の倍以上です。チリは1歳未満が62.6、1-4歳が15.9で同じく8倍と2倍です。アメリカの場合も0-4歳が6.3、5-24歳が3.0、65歳以上2.9と就学前の子供の被害が目立ちます。

アルゼンチンでは季節性インフルエンザの死亡者は年3500-4000人と推測されているので、この冬の死亡数は1割程度に留まっていることになります。同様に、ニュージーランドは年400人ですので、例年の1割以下だったことになります。


新型インフルエンザの感染者は10代の子供が多いのですが、深刻な合併症のリスクが高いのは、呼吸器官や心臓などの持病を持っている人や免疫抑制剤を使っている人、肥満、妊婦・出産直後の女性、5歳未満、50代ということになります。これらの国の十万人当り数値を日本に当てはめると、入院数が1-3万人、死亡数が500-1500人となります。近年の死亡数は年200-2000人でしたので、特に多くはありませんが、例年と異なり妊婦と50代の人は特に注意が必要かもしれません。


2009年9月20日日曜日

新型インフルエンザワクチンの効果

日本でも新型インフルエンザ用ワクチンの臨床試験が始まったようです。インフルエンザは兎角軽視され勝ちで、ワクチンも安ければそれで良いというような風潮がありますが、医療が日進月歩する中で旧態依然では困ります。沢山の人が接種することになるのでしょうから、効果や安全性を現代の標準に基づいてチェックすることは重要です。


南半球は一足先に冬を経験し、新型が冬にどの程度流行し被害をもたらすのか、ある程度分かりました。インフルエンザ関連の死亡者はアメリカ、メキシコ、アルゼンチンに集中しているのですが、そのアルゼンチンでも、数十年振りの大流行に見舞われたニュージーランドでも、インフルエンザ様疾患による入院は人口1万人当り二人前後です。一方、日本で医療関係者を対象に実施されたトリH5N1インフルエンザワクチンの治験では、3000人中二人が入院しました。対照群が設けられていないのでワクチンのせいかどうかはハッキリしないですし、H5よりH1のワクチンのほうが安全のような気がしますが、それでも、国民全員に接種させるのがナンセンスであることは明確です。


インフルエンザワクチンは原則的に任意接種なので、私達が自分で判断しなければなりません。拠り所は、感染したり合併症を発症したりするリスクの度合いと、ワクチンの有害事象・副作用の発生率や重さです。データがなければ判断しようがないのですから、その意味でも治験を行い結果を公表することが重要です。


さて、海外メーカーの新型インフルエンザ用ワクチンは一社当り数千人規模の治験が進行中で、年内に多くのデータがまとまるでしょう。今回は、これまでに公表された中間解析・予備的解析のデータを概観しましょう。優先接種対象である特定の持病を持つ人や幼少児、妊婦に特化した治験ではなく、また、規模が小さく偽薬対照試験ではないので安全性については良く分かりません。そこで、効果だけに注目します。


これまでに、豪州、英国、ドイツ、米国で実施された5本の試験の成果が公表されています。但し、豪州や英国の試験は論文発表ですが、他はメーカーのプレスリリースやアメリカの国立衛生研究所の記者発表なので、詳細は分かりません。また、多くは途中解析で今後、他の群のデータが追加されたり、数値が変更される可能性があります。


ワクチンの効果を評価するベンチマークで良く引用されるのは、EUの基準です。抗体保有率(抗体の力価が一定値を超えている人の比率)、抗体陽転率(接種後に初めて抗体価が一定値を超えた、あるいは大きく増加した人の比率)、抗体増加率(幾何平均抗体価が何倍に増えたか)の三種類ありますが、ここではデータが公表されている抗体保有率に注目します。EUの基準によると、18-60歳で70%以上、60歳以上は60%以上であることが要求されます。


新型インフルエンザワクチンのこれまでの試験では、一回の接種だけでこの基準をクリアできる、あるいはそれに近い効果を生めることが示されました。アメリカのサノフィ製ワクチンの65歳以上の人たちの解析が56%とショートしましたが、60歳以上ではなく65歳以上の集計なので、効果不足とは言えないでしょう(高齢になるほど効きにくくなるのが普通)。











































































































































治験成績(抗体保有率<%>)
実施地域n年齢接種前接種後
豪州(CSL、鶏卵)
15mcg x11202833.396.7
(18-49歳)585832.8100.0
(50-64歳)625033.993.5
30mcg x11202630.093.3
(18-49歳)625638.798.4
(50-64歳)584820.787.9
英国(ノバルティス、MDCK細胞)
MF59 + 15mcg x125348.092.0
MF59 + 7.5mcg D0, D725324.096.0
MF59 + 7.5mcg D0, D14252912.092.0
MF59 + 7.5mcg x1253512.080.0
ドイツ(GSK、鶏卵)
AS03 + 3.25mcg相当 x1nanana98.0
15mcg相当 x1nanana95.0
米国(サノフィ、鶏卵)
15mcg x1 18-64歳nanana96.0
同  65歳以上nanana56.0
米国(CSL、鶏卵)
15mcg x1 18-64歳nanana80.0
同 65歳以上nanana60.0


注:括弧内は試験されたワクチンのメーカー名と培養方法を示す。MF59とAS02はアジュバントの名称で、記されていないものはアジュバントが添加されていない。x1は一回接種、D0、D7は第一日目と第7日目に二回接種。年齢は中央値。奏効率は赤血球凝集抑制(HI)抗体価が40倍以上であった被験者の比率。『接種後』は第21日目(但しサノフィ製品とCSL製品の米国試験は第8-10日目)。

出所:E Eng J Med 2009年、GSK、米国立衛生研究所。

前回も書いたように、一回で済むならワクチンの供給不足が大幅に改善します。供給が完了するのは来年春の見込みだったので、その前に感染してしまうシナリオも考えられるのですが、供給スピードも改善するでしょう。あとは、妊婦など優先接種対象の人たちのデータを集めること。そして、接種を円滑に進めるための医療従事者との連絡・打ち合わせ(接種場所の決定など)、そして、国民に対する啓蒙(効果や安全性に関する情報の提供)でしょう。日本独自の問題として、もし二回接種するならば、健康被害の救済制度を拡充して二回目の接種に伴うものもカバーする必要があるのではないでしょうか。



さて、今回のデータで面白いのは、豪州試験で接種前に既に3割の人が抗体を持っていたことです。この試験は流行が始まるのと同じ時期に開始されたのですが、感染していないことを確認した上で組み入れたようです。それなのにこんなに沢山の人が持っていたことは、これまでに様々な国で実施された抗体保有状況調査と食い違っています。


論文を読みながら思い浮かんだのはデータの信頼性に関する疑惑です。しかし、著者も査読者も十分にチェックしたでしょうから、他に理由があるのかもしれません。


もし間違いでなかったとすると、これまでの常識が覆ります。新型が大流行しているのは抗体を持っている人が少ないからです。豪州でこんなに沢山の人が抗体を持っているとしたら、考えられるのは、(1)豪州の一部では以前から類似したウイルスが流行していた、(2)今回の流行で感染したのだが誰も気付かなかった、などです。


パンデミック・インフルエンザ対策の重点監視対象がトリ由来のウイルスに偏っていて、ブタの監視が疎かになっていたことは今日では周知の事実です。アメリカでは過去にもごく少数の感染者が報告されていたのですが、流行しなかったので軽視されていました。過去の感染例と今回の大流行はウイルスのゲノムが異なるようですが、豪州で密かに流行していた(?)ウイルスとは交差免疫があるのかもしれません。


(2)は、今回のウイルスは過去の大流行と比べれば病原性が小さく、感染力の強さだけが際立っています。感染し、免疫ができるほどウイルスが増加したのに症状が出ないなどということは考えにくいのでしょうが、迅速検査が陰性だった、あるいは、熱が出なかったためにインフルエンザと診断されなかったようなことはあっても不思議はありません。海外の調査では迅速検査の正解率は5割程度です。日本でも、陰性だったために診断が遅れた症例が報道されています。


北半球では、流行が始まるのと前後して、あるいは始まった後に接種することになります。それだけに、この現象の原因究明は重要な課題だと思います。取り敢えずの関心は、米国試験の接種前の抗体保有率がどの程度だったのか知りたいと思います。



2009年9月14日月曜日

新型インフルエンザワクチンの供給計画と治験結果

先週は2009 H1N1(ブタ由来インフルエンザ)に関する重要な発表がありました。先ず、臨床試験の中間解析が論文発表され、季節性インフルエンザワクチンと同様に一回の接種で済む公算が大きいことが判明しました。予定通りの人数に提供できることになります。この試験の一つは日本が調達を検討している新技術を用いたワクチンの試験なので、私たちにとっては特に重要です。もう一つは厚生労働省が供給計画の草案を発表したことです。


厚生労働省のワクチン供給計画


以下、厚生労働省の計画に即して説明しましょう。2009 H1N1は感染パターンが季節性インフルエンザと異なるので、これまでの経験に即して、重い合併症のリスクが高い人を特定して接種を奨励する必要があります。新型用ワクチンは世界的に需給がタイトで、既に発注済の国でも、09/10シーズン用のワクチンの調達が完了するのは来年3月頃と、時間が掛かる見込みです。そこで、厚生労働省は以下のように優先順位を付ける考えです。


新型インフルエンザワクチンの優先接種
最優先:
インフルエンザ感染診療従事者
(救急隊員を含む)
約100万人
妊婦約100万人
基礎疾患を有するもの(喘息症
等の呼吸器疾患、高血圧症
以外の心疾患、腎肝疾患等)。
中でも1歳から就学前の小児。
約900万人
1歳以上の未就学児。約600万人
1歳未満の小児の両親約200万人
小計約1900万人
次に優先:
小中高生(但し、10歳以下の
小学生は可能なら最優先とする)
約1400万人
65歳以上の高齢者約2100万人
総計約5400万人




新型インフルエンザの特徴は若い人の感染・合併症リスクが高いことで、2009 H1N1は特に小中高生で集団感染が発生しています。学生がキャリアになって家庭や地域、職場にウイルスを運ぶ可能性もあるので、ワクチン接種が特に重要です。入院例を見ると喘息症などの基礎疾患を持っている人が半分を占めるので、この人たちも重点目標になります。死亡例は各年代で満遍なく発生しているので、カバレッジをできるだけ広げる必要があります。


インフルエンザ合併症例の年齢別構成比(%)

入院例(日本)死亡例(世界)
n579n448
5歳未満19.010歳未満10.5
5-10歳55.110代9.8
20-30歳8.520代18.8
40-59歳6.230代15.8
60歳以上11.240代17.9
50代15.4
60代以上11.8



同 リスク因子別構成比(%)

入院例(日本)入院例(NY市)
n579n909
基礎疾患あり44.4リスク因子あり79
慢性呼吸器疾患23.8喘息症30
代謝性疾患4.0糖尿病13
腎機能障害2.8心疾患12
慢性心疾患2.6免疫低下9
妊婦0.9肝腎疾患8
免疫機能不全0.7妊娠6
その他16.92歳未満14
65歳以上5


調達計画


日本はインフルエンザワクチンの自給体制を持っていますが、例年の供給量は2000万本前後なので、5400万人、つまり人口の三分の一に供給するとなると方法は二つしかありません。国内メーカーの生産体制増強、且つ又、海外製品の輸入です。日本はWHOなどの勧告に従い新型インフルエンザ対策を何年もかけて進めてきたわけですが、どういう訳か、この問題は放置されたようです。輸入は自前主義・内資系企業優遇政策に反します。かと言って、内資企業が設備増強しても、新型が流行しなかったら投資を回収するどころか設備過剰になってしまい、経営が弱体化して自給体制が崩れてしまうかもしれません。自前主義が妨げになって対策が遅れ、今になっても未だ輸入契約を結んでいないという、危機管理能力の欠如を露呈する事態になってしまいました。調達量も、人口に対する比率で見るとアメリカやフランスよりだいぶ少なくなっています。

厚生労働省の現在の計画では、国産ワクチンは10月下旬から来年3月にかけて約1800万本が供給される見込みです。1mLではなく10mLのバイアルを使えば(1瓶1人分ではなく10人分にすれば)もっと供給できるようです。それにしても足りないことに変わりはないので、海外二社のワクチンを輸入する考えです。一つは、グラクソ・スミスクラインの製品と私は推測しています。特徴は、海外のワクチンなので筋注、鶏卵培養(一般的な手法)、アジュバント入り、であることです。2009 H1N1の抗原を配合したワクチンは史上初めてなので過去の市販歴はなく、現在治験中。アジュバントは市販歴はないようですが、トリ・インフルエンザワクチン用のアジュバントとして1万例を超える治験実績があります(日本でも治験が行われました)。
もう一つの候補は、私の推測ではノバルティスの製品です。特徴は、筋注、MDCK細胞培養、アジュバント入りであること。MDCK細胞培養は鶏卵培養より生産性が高いことが長所です。トリ・インフルエンザが大流行した場合、鶏卵の調達に支障が出る可能性があるので、数多くの会社が開発しています。アメリカは未承認ですが、欧州では07年にMDCK細胞培養法で作られたノバルティスのインフルエンザ・ワクチンが承認されました(アジュバント入りではありません)。このほかに、バクスターなどがアメリカ以外の国から新型用ワクチンを受注しています。ノバルティスのアジュバントはオイル・イン・ウオーター型で、このMF59アジュバントを配合したワクチンは97年に初めて承認されました。これまでに4000万ドース(4000万回分)の出荷歴、1.6万ドースの治験実績があります。但し、MDCK細胞培養とMF59アジュバントを組み合わせたインフルエンザワクチンは、今回の新型用ワクチンが初めてのようです。

日本が輸入を検討しているワクチンは何れもアジュバント入りということになります。他の国より出遅れたので、アジュバント入りしか残っていないのでしょう。尤も、良い点もあります。アジュバント入りワクチンはトリH5N1インフルエンザ用の試作品の治験で大変良い成果を挙げました。一方、アジュバントなしのワクチンは効果が足らず、抗原の量を増やす必要がありそうです。抗原の生産能力は限られているので好ましいことではありません。もし2009 H1N1ワクチンも同じであった場合、国産ワクチンでは十分に予防できないので、アジュバント入りの輸入は保険を掛ける効果があります。

内資系企業は臨床試験をやらないようですが、海外のメーカーは現在、突貫工事で実施しています。2009 H1N1に対する抗体を持っている人は少ないはずなので、一回の接種では足りないかもしれないからです。二回でも足りずアジュバント入りしか効かない可能性があります。そこで、様々な用法を比較して最適なものを探索しているのです。

これらの試験は9-12月に結果が判明する見込みですが、そのうち、オーストラリアで実施されているCSL社のアジュバントなしワクチンの試験と、イギリスで実施されているノバルティスのMDCK細胞培養・アジュバント入りワクチンの試験の中間解析結果がNew England Journal of Medicine誌に発表されました。また、アメリカの国立衛生研究所が実施しているサノフィ・アベンティスとCSLのアジュバントなしワクチンの治験実績が記者発表されました。ベストケース・シナリオが実現したと言っても過言ではない内容です。

オーストラリアの試験では、一回の接種で95%以上の被験者が免疫を獲得しました。HA抗原の量は15mcgでも30mcgでも効果は大差ありませんでした。イギリスの試験は、アジュバントなしのワクチンもテストしていますが、今回発表されたのはMF59アジュバント入りワクチンの成績だけです。7.5mcg一回接種でも十分な効果がありました。但し、15mcgや、二回接種のほうが奏効率が高そうです。アメリカの試験では15mcgも30mcgも十分な効果がありました。若い人と比べて50歳以上あるいは65歳以上の人に対する効果は見劣りしますが、季節性インフルエンザ・ワクチンでも同じです。尚、妊婦や小児の治験はまだ結果が出ていません。

厚生労働省の計画は二回接種が前提のようですので、一回で済むなら1億人以上が接種できます。人口対比カバー率がアメリカ並みになります(一回で済むなら輸入品は不要という過激な意見も出ているようなので、結局5000万人分しか供給されないかもしれませんが。輸入品に関しては、アジュバント入りワクチンが本当に必要なのか、という疑問も生じます。免疫刺激力が高い分、ワクチンに特有な有害事象の発生率も高くなるからです。ノバルティスの試験がポイントになるでしょう。ノバルティスは日本でも治験を開始したので、この成績も注目されます。

一部で輸入ワクチンの安全性を云々する声があります。アジュバントやMDCK細胞培養など新しい技術が用いられているのでその分、リスクはありそうですが、しかし、輸入ワクチンは世界中で一社数千人規模の試験が行われています。治験成績ゼロで効果も安全性も分からないワクチンとどちらが良いかは分かりません。

最後に、ワクチンが接種できるとして、あなたは受けますか?アメリカの医療関係者向けウェブサイト、MedPageが実施したアンケートでは、受けるだろうと答えた人が53%(very likelyとsomewhat likelyの合計)、受けないだろうが39%(not very likelyとnot at all)、分からないが8%でした。プロの評価がこの程度となると、少し心配になりますね。受けないのも不安です。2009 H1N1は病原性はそれほど高くないのですが、リスク因子を持たない人でも重症例が発生しています。小児のインフルエンザ脳症や、一度軽快した後に急激に悪化する例、発熱のない症例など、予め頭に入れておかないと対処が遅れかねない事例もあるようです。マスクよりは役立つのでしょうが、to be vaccinated, or not to be vaccinated, that is the questionです。

2009年9月6日日曜日

続:clipidogrelとPPIの関係

欧州心臓学会ESCで抗血小板薬とプロトンポンプ阻害剤(PPI)の関係に関する数多くのデータ発表がありました。一つはprasugrelのclopidogrel対照試験のサブスタディ、一つはclopidogrelを倍量投与した試験のサブグループ分析、残りの一つはticagrelorという新クラスのP2Y12拮抗剤のフェーズⅢ試験のサブグループ分析です。何れも、PPIを同時服用してもclopidogrelの心血管リスク削減効果には大きな影響はないことを示唆しました。

血小板凝集抑制試験や疫学的研究では相互作用リスクが示唆されていますが、CREDO試験のポストホック分析も含めて、心血管アウトカム試験のデータを用いた研究は概して否定的ということになります。

とは言え、まだ結論が出たわけではありません。疫学的研究も、アウトカム試験の解析も、三つの弱点を持つことでは共通しているからです。第一には、PPI服用者と非服用者の患者背景の違いが影響している疑いがあります。第二に、アメリカではomeprazoleがOTCスイッチされているので、担当医が知らないところで患者が服用している可能性があります。第三に、2C19変異を調べていないこと。機能喪失変異を持つ患者はclopidogrelの効果を十分に享受できないのですから、PPIを同時服用しても大きな変わりは無いでしょう。2C19遺伝子のどちらかに変異を持つ人は白人や黒人の3割、中国人や日本人の場合は6割以上と推測されていますので、無視できません。もしPPI相互作用があったとしても、このような患者が含まれていたら影響が薄められて検出しにくくなってしまいます。

ESCの話の前に、clopidogrelとPPIの関係を復習しておきましょう。clopidogrelはプロドラッグで、体内で活性代謝物に変わります。プロセスは複雑で良く分からないのですが、近年のin vitro研究によれば、


  • clopidogrelの85%はエステラーゼによって分解され、不活性代謝物になる。

  • 残りは肝臓でCYP酵素による二段階の代謝を経て活性代謝物になる。

  • 2C19はこの二段階の何れにも関与する。

PPIは2C19によって不活性化されます。結合力が強く2C19から中々放れないので、clopidogrelの活性化が妨げられても不思議はありません。clopidogrelはモノセラピーでも承認されていますが、心筋梗塞の再発予防ではアスピリン併用で用いられることが多いです。どちらも胃腸潰瘍・出血のリスクがあるので、胃腸副作用を予防する目的でPPIも処方することが少なくないようです。もしPPIのせいで心筋梗塞リスク削減効果が低下するとしたら、藪蛇になってしまいます。

幸い、ESCで発表された新しいデータはこのような懸念を支持するものではありませんでした。


O'Donoghueの研究



  • PCIを受ける心筋梗塞・不安定狭心症患者を対象に、prasugrelとclopidogrelの心血管イベントリスクを比較したTRITON TIMI-38試験のデータセットを分析。患者背景の違いをプロペンシティ・スコアを用いて調整したうえで、各群のPPI服用者と非服用者のリスクを比較。

  • clopidogrel群では、PPI服用者と非服用者の修正ハザードレシオは主評価項目の心血管死・心筋梗塞・卒中で0.94、心筋梗塞で0.98、ステント血栓1.08、TIMI定義に基づく主要出血で1.2となり、何れも95%信頼区間が1を跨いでいた(有意な差はなかった)。

  • prasugrel群も修正ハザードレシオが0.97から1.03の範囲内で、いずれの項目も有意差は無かった。

  • この試験ではPPI服用者の4割がpantoprazole(本邦未発売)、37%がomeprazoleを服用していた。pantoprazoleはclopidogrelに影響しないという研究があるためpantoprazole服用者を除外した解析も実施されたが、結果は同じだった。

PPI服用者と非服用者の修正ハザードレシオ

PPI服用服用せず修正HR (95% CI)
clopidogrel群:


n2,2574,538
CV死/MI/卒中(%)11.812.20.94(0.80-1.11)
心筋梗塞(%)9.59.80.98(0.82-1.17)
ステント血栓(%)2.42.31.08 (0.75-1.55)
TIMI主要出血(%)2.41.61.20 (0.80-1.79)
prasugrel群:


n2,2724,541
CV死/MI/卒中(%)10.29.71.00 (0.84-1.20)
心筋梗塞(%)7.77.31.02 (0.84-1.25)
ステント血栓(%)1.11.11.03 (0.60-1.76)
TIMI主要出血(%)2.52.40.97 (0.67-1.39)


注:発生率は14ヵ月間。


以前、イーライリリーがFDA諮問委員会で公表した同様なデータを紹介しましたが、今回は3日間ではなく14ヵ月なので、信頼性が高まっています。一方で、患者背景の違いを修正するために疫学的試験でしばしば用いられるプロペンシティ・スコア法は、評価がまちまちのようですので、割り引いて考えたほうが良いでしょう。

この研究についてもっと知りたい人は、ESCのウェブサイトにプレゼンの要旨とスライドのリンクがあります。


PLATO試験のサブグループ分析



  • PLATOはticagrelorという新薬の心血管イベント削減効果がclopidogrelより高いことを確認するために実施された、PCIまたは薬物療法を受ける心筋梗塞・不安定狭心症患者を対象としたフェーズIII試験。被験者の3分の2がベースライン時点でPPIを服用していた。

  • clopidogrelに対するticagrelorの心血管ハザードレシオは0.84と有意に低かった。PPI服用グループではハザードレシオが0.83、非服用者では0.86で、このファクターがハザードレシオに与える相互作用のp値は0.69だった(有意な影響はなかった)。

PPI服用服用せず
n12,2496,375
CV死/MI/卒中(%):

ticagrelor9.211
clopidogrel1112.9
HR0.830.86
95%信頼区間0.74、0.930.75、1.00
相互作用p値0.69


注:発生率は12ヵ月間。


ticagrelorはプロドラッグではありませんし、不活性化代謝は主として3A4のようですので、2C19の影響は受けないでしょう。もしPPI服用者におけるclopidogrelの効果が弱いなら、その分、ticagrelorの効果が高くなるはずですが、非服用者と殆ど変わりませんでした。

この治験は論文がNew England Journal of Medicineのホームページで先行刊行されています。サブグループ分析のデータはsupplementary materialに収載されています。


CURRENT OASIS-7試験のサブグループ分析



  • clopidogrelの投与量を最初の1週間だけ二倍にする(負荷用量600mg、維持用量150mg/日)用法を標準的用法(各300mg、75mg/日)と比較した、PCIを受ける心筋梗塞・不安定狭心症患者を対象とした30日間の試験。

  • 主評価項目の心血管死・心筋梗塞・卒中は有意差なし(ハザードレシオ0.95)。PCIを受けた患者(被験者の3分の2)だけの解析では0.85(95%信頼区間0.74、0.99)、p=0.036で、二次的評価項目でも良好な結果が出た。しかし、PCIを受けなかった患者は冠動脈狭窄が進行していない患者が多かったせいか、1.17(0.95、1.44)と効果が見られなかった。

  • PCIを受けた患者に関するサブグループ分析では、PPI服用の有無と心血管死・心筋梗塞・卒中リスクの相互作用に関するp値は有意ではなかった。

PPI服用服用せず
n5,5577,675
CV死/MI/卒中(%):

標準用量5.73.8
二倍用量4.23.2
相互作用p値0.408
MI/ステント血栓(%):

標準用量4.83.1
二倍用量3.32.3
相互作用p値0.613


注:発生率は30日間。


この試験はアスピリンの二用量(100mg以下と300mg以上)を比較する試験とfactorial designで実施されました。奇妙なことに、アスピリン高用量群に割り付けられた患者では二倍用量群のハザードレシオが0.83でぎりぎり有意だったのですが、低用量の患者では1.07でした。相互作用のp値は0.043でした。

factorial designの試験で相互作用があった場合は、その時点で、全ての解析が無意味になると聞いた覚えがあります。
しかもclopidogrel試験の主評価項目は失敗したのですから、PCIを受けた患者だけの解析やPPIの影響に関する解析も慎重に受け止める必要があります。

それにしても、異なった研究者が異なった目的で実施した超大規模な試験が、何れも肯定的ではない結果になったのですから、PPI相互作用の可能性をこれまで以上に慎重に考えたほうが良いのではないでしょうか。

この試験は治験論文が未刊行なので細かいところが良く分からないのですが、CARDIOSOURCE(ACCの情報提供ウェブサイト)にプレゼンスライドのリンクがあります。


2009年9月4日金曜日

Valsartanは京都で誰を倒したのか?

ARBは日本で特に人気があり、アウトカム試験も複数実施されています。8月末のESC学会では、京都府立医科大学とその関連病院で実施されたKYOTO HEART Studyの結果が発表されました。治験論文(オープンアクセス)も同時刊行されたのですが、奇妙な点を一つ見つけたので、治験概要を説明した後で書きます。



KYOTO HEART Studyのデザイン:管理不良高血圧で心血管疾患リスク因子を持つ3000人を、valsartanを追加投与する群とARB以外で治療する群に無作為化割付。降圧目標は両群とも同じ。主評価項目は脳卒中、心筋梗塞、心不全、急性心筋梗塞、狭心症の複合評価項目でPROBE法を採用。


結果:対照群のイベント発生率は解析計画の前提を下回って推移したが、valsartan群は更に低かったため、メジアン3.2年経過時点の中間解析で主目的を達成。主評価項目発生率はvalsartan群5.4%、対照群10.2%、ハザードレシオは0.55(95%信頼区間0.42、0.72)、p=0.00001。個別項目では脳卒中(ハザードレシオ0.55)と狭心症(0.51)が有意に少なかった。糖尿病の発症も有意に少なかった。急性心筋梗塞、全死亡、心血管死は夫々にハザードレシオが1を下回ったが、p値は0.3以上で有意差はない。


格好良いですね。valsartanが宮本武蔵のように一人で他の血圧降下剤に立ち向かい瞬く間に倒してしまいました。もう一つ格好が良いのが、両群の血圧平均値の推移を示したグラフです。この試験の仮説、即ち、降圧だけでなく薬の選択も重要であることを立証するためには、両群の血圧に偏りが生じないようにしなければなりません。上手く行かずに小さな差が出てしまうことが多いのですが、この試験では、二本のラインが最初から最後までキレイに重なっています。そのままでは一本に見えてしまうので、対照群のラインを少し右方向に移動させているくらいです。


奇妙なのは、他の血圧降下剤の使用状況です。両群とも、ベースライン時点の157/88 mmHgから133/76 mmHgに、24/12 mmHg低下しました。ベースライン時点の服用状況と治験論文の記述に基づいて試算すると、valsartan群の服用薬剤数は平均1.02から2.02に増えましたが、対照群は1.02から1.12程度にしか増えていないことになります。valsartanの効果が他の降圧剤の10分の1とは考えられないので、きっと、表記されている併用薬剤のデータは、対照群に追加投与された「ARB・ACE阻害剤以外の血圧降下剤」をカウントしていないのでしょう。


こんな計算をした理由は、このような試験では試験薬が特に優れているのか、対照薬が特に悪いのか、検討しなければならないからです。ベースラインではCCBの人気が高く54%が服用していたので、対照群の追加薬剤もCCBが多かったかもしれません。一方、既にCCBを服用している患者には他の薬を使うでしょうから、利尿剤やβブロッカーかもしれません。βブロッカーといえばアテノロールは単純高血圧症のアウトカム試験の成績が悪いことで有名で、近年は「咬ませ犬」状態になっています(対戦相手にアテノロールを選べば勝てる公算が大きい)。


宮本武蔵が勝ったはずなのですが、倒したのが雑魚なのか、大将なのか分からないのでは迫力に欠けます。武蔵といえば巌流島の戦いで、valsartanも、佐々木小次郎と一対一の対決をすべきだったのかもしれません。



あの試験は、今・・・PROactive試験

あの人は今、ではなく、あの試験の評価はその後どうなったか、チェックしてみましょう。


PROactive試験は、心筋梗塞や脳梗塞、下肢の閉塞性動脈疾患などの大血管性疾患を持つ二型糖尿病患者5238人を組入れた、pioglitazoneの大規模試験です。05年にEASDで結果が発表され、06年にはLancetに論文が掲載されました。主評価項目は惜しくも有意差が出ませんでしたが、「主要な二次的評価項目」の全死亡・非致死的心筋梗塞・脳卒中の複合評価項目は、ハザードレシオが0.84、95%信頼区間0.72-0.98、p値が0.027と大変良い結果が出ました。心筋梗塞リスク削減効果が示されたのは、血糖降下剤では史上初めてです。


良さそうに見えたのですが、世間の風は冷たく、Lancetには治験のデザインなどに疑問を呈する書簡が寄せられました。また、欧米の医薬品審査機関はpioglitazoneの効能追加を認めませんでした。何故でしょうか?


FDAは通常、承認しなかった理由を明らかにしません。承認申請の内容に関する守秘義務があることや、単に証拠不十分というだけで効くとも効かないとも言えないケースがあることなどが原因なのでしょうが、新薬ならともかく、広く使われている薬の効能や新用途に関する情報が公開されないのは困ります。FDAの審査官、Karen Mahoneyは、08年のADAで、PROactive試験の論文は11頁だがFDAが審査した書類はデータセットを除いても6万頁あったと言っていました。莫大な量の情報が埋もれているのです。


その後、FDAが二型糖尿病用薬の安全性に関する諮問委員会を招集した際に、代表的な心血管アウトカム試験の一つであるPROactive試験についても言及されました。以下、幾つかのテーマについて審査機関の証言・見解を見てみましょう。


PROactive試験の謎の第一は、「主要な二次的評価項目」がポストホック分析なのではないか、という疑惑です。第二は、主評価項目が失敗した場合の二次的評価項目の意義です。Lancet誌の書簡に答えて、治験論文の著者は、この評価項目はprespecifiedであり盲検解除前にFDAに報告した、と書いています。また、二次的評価項目の個々のイベントは主評価項目のイベントと共通であり、主評価項目でもリスクを削減するトレンドがあったことを強調しました。





PROactive study - Authors' reply



J. Dormandy

The Lancet, Volume 367, Issue 9504



FDAのKaren Mahoneyが作成した諮問委員会用ブリーフィング資料には、このように記されています。


PROactive試験は05年1月31日に完了した。05年5月12日に武田薬品が、「主要な二次的評価項目」として新しい評価項目の解析計画を提出した。武田は非盲検化したのは05年5月23日と言っている。追加された時期や主評価項目が失敗したことを踏まえれば、この評価項目は前向きで決定された(prospectively defined)評価項目というよりは、探索的ポスト・ホック分析に該当するように見える。

(中略)

ポスト・ホックで複合評価項目の個々の項目から抜き出すすることは潜在的にバイアスを伴うので、この評価項目はベスト・ケース・シナリオの選択である懸念を生む。

(07年7月30日に開催された内分泌代謝学薬諮問委員会のFDAブリーフィング資料より pdfファイルの通算199頁目)


大規模な試験では複数の解析を行なったり数多くのサブスタディを行なうのが通例で、二型糖尿病のランドマーク的な試験であるUKPDSは、異なった解析の論文が何十本も刊行されています。問題は、評価項目が増えれば増えるほど、偶然に有意差が出てしまうリスクが高まることです。


主評価項目が複数存在したり、中間解析が実施される場合は、多重性補正を行なって治験成功を認定するハードルを高めるのが厳格な方法です(有意水準をp<0.048や<0.025に設定するなど)。二次的評価項目の場合はこの方法は無理ですので、治験結果が出た後でシーケンシャル法を当てはめるしかありません。主評価項目の解析が失敗したら、二次的評価項目は仮説探索的解析に過ぎないと見なすのです。FDAも、様々な機会に、主評価項目の解析でアルファを使い切っているので、二次的評価項目が成功しても参考程度にしかならないという考え方を示しています。


第三の謎は、有意ではなかったものの数値上は心筋梗塞などが少なかったのは何故か?スタチンと比べて、血糖治療薬の長期大規模試験は数が少ないのですが、それにしても、心筋梗塞のような大血管疾患で有意差が出たのはActosが初めてです。UKPDSのmetformin試験はあと一歩でしたが、あんなに長期間治療して有意差が出なかったのですから、効果自体があと一歩なのでしょう。薬を問わずにHbA1cを集中的に治療する試験も複数実施されましたが、何れも釈然としない結果になり、突然死などが増加した試験もありました。


07年の諮問委員会のブリーフィング資料には、以下の記述があります。


(PROactive試験に参加した)臨床研究者は国際糖尿病連合の欧州地域1999年ガイドラインに則って血糖値や心血管リスク因子を治療するよう指示されていたが、pioglitazone群のHbA1cや血漿トリグリセライド、HDLコレステロール、血圧は偽薬群よりも良好に管理されていた。このため、PROactive試験の好ましい結果が全てpioglitazoneの寄与なのか、心血管リスク因子の管理が良かったことも寄与したのか、区別するのは困難という主張もある。

(08年7月1-2日 内分泌代謝学薬諮問委員会と医薬品安全性リスク管理諮問委員会の共同会議 FDAブリーフィング資料
pdfファイル全体の5-6頁目)


この試験のHbA1cの群間差は0.5%でしたが、病歴が長く既に色々な薬を服用している患者にpioglitzoneを追加投与した時の効果もこんなものでしょう。このため、私は、差が出たのは予定通りなのだろうと誤解していました。UKPDSやADVANCE、ACCORD試験などのイメージです。しかし、実際には、偶然だったのです。こうなると、PROBE法の試験は困ります。心血管イベントの判定は第三者が盲検方式で行なうのですが、医師は患者が何を服用しているのか知っているので、治験を成功させるために偽薬群の血糖管理に手加減したのではないか、と痛くもない腹を探られてしまいます。
勿論、私自身が疑っているわけではありません。長期試験で血糖値管理目標が達成されないことは珍しくないからです。ガイドラインも患者の特性に応じて匙加減するよう注意しています。


この謎に関連して問題提起したいのは、PROactive試験だけではなく大規模アウトカム試験全体に、同時服用薬に関する情報が十分ではないことです。医療が向上した結果、一つの薬を追加投与することによる限界的な治療効果は小さくなっています。その分、検出力が高く設定されているので、ノイズを拾ってしまうリスクが高まっているはずです。中でも曲者はスタチンで、心筋梗塞を削減する大きな効果を持っていることや、製品や用量によって効果が異なることを考えれば、期中に患者が何をどれくらい服用したのか良く調べる必要があります。PROactive治験論文はベースライン時点と期中の変化に言及しているので情報が充実しているほうですが、しかし、銘柄や用量までは言及していません。大規模な試験は偏りが生じにくいことが長所ですが、現実には、意外な偏りが出た事例は少なくありません。pioglitazoneはLDL-C値が若干上昇するので、スタチンを増量した患者が多かったかもしれません。ここでも、二重盲検でないばかりに余計な心配をしなければなりません。


pioglitazoneは多彩な作用を持っているので、HDL-Cや血圧の群間差がpioglitazoneの寄与である可能性も十分ありますが、結論を出すにはデータ不足です。


第4の謎は、心筋梗塞削減効果の兆しと心不全リスクの兆しをどのように天秤に掛けたら良いのか?
審査機関がPROactive試験の効能を承認しなかった最大の理由は、心不全リスクも確認されたことであるようです。EASDでもLancetでも論評者が指摘しましたが、心筋梗塞を減らすことが出来ても心不全と交換では嬉しさも半減です。
07年7月のブリーフィング資料にも記されています。


薬効評価項目に深刻な心不全を追加すると、pioglitazone群と偽薬群の全般的な心血管リスクの差はごくわずか(negligible)になる。

代謝内分泌学的製品部門はpioglitazoneの心血管ベネフィットを武田が販売促進に用いることを承認できるほど明確に薬効が示されたとは認定していないが、心不全を除けば大血管リスクに関して長期的に中立であったことは重要な情報と感じた。

武田はポスト・ホック二次的評価項目も含めて薬効に関する情報の追加を申請していたが、当部門は同意しなかった。安全性に関するデータは重要なので、主評価項目の個々のイベントに関する情報は有害事象セクションに、心不全に関する情報は警告セクションに、記載された。

次はEMEAです。武田はEMEAの販売承認を得る時に大規模な大血管アウトカム試験の実施をコミットしたようです。PROactive試験がその回答なのでしょう。


PROactive試験は事前に設定された主評価項目に関して失敗した。(中略)心不全も増加した。これらは新たな安全性問題ではないが、体重増加、浮腫、心不全に関する安全性懸念が確認された。

PROactive試験はpioglitazoneの投与が心血管リスクを高めないことを示唆したが、明確なベネフィットを示すことには失敗し、安全性懸念は解消されなかった。


��Actos: Procedural steps taken and scientific information after the authorisation
Changes made after 01/10/2003(pdfファイル)



謎は沢山ありますが、PROacitive試験が思ったほど評価されなかった最大の理由は主評価項目の解析が失敗したことと心不全が多かったことで、PROBE法を採用したために十分な抗弁ができなかったのでしょう。


最後に、PROactive試験の主評価項目で有意差が出なかった犯人は、脚部の血管再建術や大きな切除が偽薬群より大きかったことのように見えます。このようなリスクを減らすことのできる薬など効いたことがないので、学会発表当時は気にしませんでしたが、pioglitazoneの浮腫リスクが原因などということはありませんよね。この点に関しては誰も何も言っていないので、5年経っても謎のままです。



Valsartanは名古屋では引き分けに

次は、同じくACCのLate-breakerで発表されたNagoya Heart Study(NHS)です。試験の内容や結果は納得できるものですが、分からないのは、Kyoto Heart StudyやJikei Heart Studyとの関係です。この二本の試験ではvalsart...