2007年11月25日日曜日

Avastin(アバスチン)は本当は激安だった!

ジェネンテックがAvastin(bevacizumab)の流通制限を発表したことに、網膜専門医などが反発しています。Avastinは抗癌剤であり、網膜疾患を治療するならLucentis(ranibizumab)を使うべきなのですが、はるかに安上がりなので多くの眼科医が代用しています。このことはジェネンテックにとっては、企業収益の点でも、規制遵守の点でも、患者の安全の確保の点でも好ましくありません。両者の利害対立が遂に表面化したという印象です


AvastinはVEGF(血管内皮成長因子)に結合する抗体医薬で、血管の増殖を抑制することによって癌細胞を兵糧攻めします。やがて、このようなメカニズムの薬はwAMD(滲出型加齢性黄斑変性)のような網膜血管の異常増殖が原因で起きる病気にも有効である可能性が浮上しました。wAMDは高齢者に多い病気なので、副作用リスクをできるだけ小さくする必要があります。そこで、Avastinを改良して創製したのがLucentisです。固定領域と呼ばれる部位を除去し、VEGF結合力を高めることによって、静脈点滴ではなく硝子体に注射できるようにしました。


この二剤はどちらも臨床試験が成功し、Avastinは04年、Lucentisは06年に米国で発売されました。07年第3四半期の売上高はそれぞれ6億ドルと2億ドルに達しています。


薬が難しいのは、良い薬を開発して沢山の患者に用いられるようになると、やがて値下げ圧力が高まることです。米国は病気になったら全額自己負担という人が数千万人います。高齢者や低所得者なら公的医療保障制度の対象になりますし、大抵の人が民間の医療保険に加入しているのですが、そのような場合でも最近の新薬は価格が高いので自己負担が馬鹿にできません。


ジェネンテックは所得が十分でない人のために薬を原価で供給するプログラムを用意しています。Avastinは年間の薬剤費が一定水準を超えたらそれ以上はタダという打止制も導入しました。本来の用途では価格圧力が沈静化したのですが、眼科でトラブルが生じてしまいました。


Lucentisの悲喜劇の原点は、難病の治療に目覚しい効果を持っていることです。加齢性黄斑変性は80歳以上の米国人の有病率が12%と、決して珍しくない病気です。滲出型は数の上では少ないのですが進行が早く、視力の大幅な低下をもたらします。これまでにも薬はあったのですが、効果は満足のいくものではありませんでした。普通は奏効率といえば症状が改善した患者の比率を指すのですが、wAMDのそれまでの臨床試験では、視力の悪化が一定水準以下ならば奏効とカウントしていました。薬を使っても改善する患者が殆どいなかったからです。ところが、Lucentisの治験では3割程度の患者が意味のある改善を、過半の患者がある程度の改善を達成できました。医療の大幅な進歩です。


悲喜劇の第二の理由はAvastinという姉妹品が存在したことです。Lucentisの治験成功が発表されるや否や、Avastinを代用する動きが広がり、wAMDの治療薬としてトップシェアになりました。Lucentisの発売後はやや沈静化しましたが、現在でもLucentisと同程度のシェアを持っています。


Avastinの人気の秘訣は、グラム単価が低いからです。Avastinは本来の用途では一ヵ月分が4000~8000ドル程度、Lucentisは約2000ドルで、それぞれの分野の他の新薬と比べて特別に高いわけではありません。しかし、Lucentisは少量でも最大の効果が発揮されるよう改良されていますので、グラム単価で見るとAvastinの8倍、400万ドルに達しています。


Avastinの用量は患者の体重や癌の種類に応じて調節しますので、使い残しが発生します。保存剤が入っていないので、廃棄しなければなりませんが、例えば10mg残ったとすると、50ドル分の薬が無駄になります。もし加齢性黄斑変性の治療に転用すれば、一人に使うだけで2000ドル、得をします。また、コンパウンディング・ファーマシー(調剤薬局)に行けば、Avastinを小分けしたものが一回分が数十ドルで販売されているようです。


悲喜劇の第三の理由は、規制局がAvastinの小分け・転用に厳しい目を向けていることです。無理もありません。


  • Avastinこの用途ではは未承認であるだけでなく、効果や安全性を示す十分なエビデンスが存在しない。

  • ジェネンテックは適応拡大に前向きではないので、将来もこの状態が続く可能性が高い。

  • 硝子体に注射する薬は高い品質が求められるので、Avastinの品質管理体制も強化することが好ましい。

  • 調剤薬局が小分けする段階で薬に不純物が混入する可能性がある。

前置きが長くなりましたが、これが今回の流通規制問題の背景です。


調剤薬局への出荷を中止へ



ジェネンテックは、07年11月を以って、Avastinを調剤薬局に販売するのを止めると医療従事者に通知しました。しかし、眼科医から激しい抗議を受けたため、実施を来年1月に先送りするとともに、AAO(米国眼科学会)に出席して真意を釈明しました。


それぞれの言い分は鋭く対立していますし、眼科医側の不満は流通規制問題に留まらず多岐に亘っているようです。まずジェネンテックの主張から見てみましょう。


  • FDAに規制強化の動きが見られるため、流通制限を断行しないとAvastinの腫瘍学における供給体制にも差し障りが生じる懸念がある。例えば、FDAは調剤薬局に警告状を送付した。更に、ジェネンテックの工場検査に際して、眼科転用に関する懸念を表明。ジェネンテックは、35万本(2億ドル相当)以上のバイアルの廃棄処分を余儀なくされた。その多くは、眼科用薬の基準に達していないことが理由だった。

  • このような事態の再発を回避するためには、調剤薬局への販売の中止はやむを得ない。販売を停止したからといって、調剤薬局が小分け品を販売できなくなるわけではない。

  • ジェネンテックはLucentisの薬剤費を払えない患者のために支援プログラムを用意している。眼科医や網膜専門医とは今後も話し合いを進め協力する考えであり、長期的に良好な関係を維持することを望んでいる。


これに対して、眼科医の思いは複雑なようです。AAOでは出席者がジェネンテック側の代表者に質問する機会が設けられましたが、何時まで経っても質問をしないで一方的に意見や批判を述べる人が続出しました。


  • FDAはAAOの照会に対して規制を強化するつもりは無いとの回答を寄せており、ジェネンテック側の説明と食い違っている。

  • 国立衛生研究所が計画しているLucentisとAvastinの直接比較試験にジェネンテックが協力しない(薬を無料で提供しない)のは何故だ!

  • ジェネンテックは供給制限後もAvastinを調達することは可能と言っているが、なぜそんな事が可能なのか?

  • ジェネンテックが患者にAvastinの転用の危険性を伝える書簡を送付したことは、医師と患者の信頼関係を損なう。

  • 患者より利益を重視しているとしか思えない。

問題が多岐に亘るだけに、一時間程度の議論では足りず、おそらく、どちらの側にとっても不満足な結果だったでしょう。今後も双方の考えを率直に表明し信頼関係を再構築する努力が行なわれることになりそうです。


Lucentis問題は長年の不満が一気に爆発したような印象ですが、火元は、『Lucentisの正当な価格』に関する認識の相違でしょう。現在の患者にとっては安いほうが良いに決まっていますが、Avastinの転用が続くと、今後、加齢性黄斑変性治療薬の開発がスローダウンする可能性があります。現在、Lucentisと類似したメカニズムを持つ薬が複数開発されていますが、このままだと開発中止になるかもしれません。


患者以外には関係の無い話に聞こえますが、将来私たちが滲出性加齢性黄斑変性になった時に、「あの時Avastinのオフレーベル使用にブレーキをかけておけば良かった」と臍を噛むことになるかもしれません。


2007年11月11日日曜日

torcetrapib(トルセトラピブ)とは?

CETP(コレステロール・エステル転送蛋白)を阻害して、血液中のHDL-Cの数を増やす薬です。肝臓で生産されたコレステロールはVLDL-C/LDL-Cとして血液中を循環し、動物の細胞にとって不可欠な要素である脂肪を組織に供給します。一方、組織から脂肪を受け取って肝臓に持ち帰る回収業の役割を果たしているのがHDL-Cです。心筋梗塞や狭心症の原因になるアテローム硬化は、血管壁の内部に脂肪が蓄積することによって起きます。このため、LDL-Cは悪玉コレステロール、HDL-Cは善玉コレステロールと呼ばれています。


CETPは、西部劇で言えば鉄道車両を襲って貨物を奪い、爆薬を仕掛けて逃げ去る無法者です。HDL-C中のコレステロール・エステルをVLDL-C/LDL-Cに移送してしまうからです。HDL-Cはコレステロールの代わりにトリグリセリド(中性脂肪)を受け取り、分解されやすくなります。


CETP阻害剤の最大の効果は血液中のHDL-Cが大幅に増えることです。メルクやファイザーが開発している物質は、2倍以上に増やす効果があるようです。LDL-Cを減らす効果もありますが、少なくともtorcetrapibに関しては、LDL-Cが増加することもあった模様です。ファイザーがatorvastatinとのコンビ薬として開発していたのは、LDL-C改善作用を安定化することが主目的だったようです。


臨床検査値を改善するだけでなく、心筋梗塞予防など現実的な効用があるかどうかは、まだ分かりません。先ほどは西部劇の無法者扱いしましたが、現実の社会は映画ほど単純ではなく、悪人と善人を区分するのは容易ではないからです。


  • CETPは本当に悪者か?CETPが注目されるようになった発端は、日本の長寿村の住人を対象とした調査で、CETP遺伝子が変異している人が多かったからですが、その後に他の地域で行なわれた研究では、CETP変異=冠状心疾患のリスクが小さい、という関係は確認されませんでした。

  • HDL-Cは本当に善玉か?HDL-Cを増やせば冠状心疾患リスクが低下する、という仮説の裏付けは小規模な治験だけで、十分なエビデンスはありません。LDL-Cと同様にHDL-Cも様々なサブタイプがあり、冠状心疾患リスクに関連するのはその一部だけという説もあります。

  • CETP阻害剤で増えるHDL-Cは有益か?CETP阻害剤はHDL-Cのスクラップを遅らせるだけで、新生を促進するわけではありません。トラック輸送の能力を増強するにはトラックを買い増す方法と一台一台の稼働時間を増やす方法がありますが、最近、トラックの事故が多いことを考えれば、どちらが良いかは一目瞭然です。


ILLUMINATE試験はこれらの疑問を一刀両断するための試験だったのですが、残念なことに、ゴール直前で落馬してしまいました。


CETP阻害剤に関する文献




torcetrapib(トルセトラピブ)の謎

torcetrapibのアウトカム試験の結果が学会や医学誌で発表されました。偽薬群より死亡例や心血管疾患イベントが多かったのはアルドステロンが増加して血圧が上昇したことが原因と考えられるようですが、それだけでは説明できないのではないでしょうか。

torcetrapibはCETP阻害剤という新しいタイプのコレステロール管理薬で、LDL-Cという悪玉コレステロールを削減するだけでなく、HDL-Cという善玉コレステロールを大幅に増やすことができます。LDL-Cはスタチンの方が効果が高いですが、HDL-Cはこれまでは2~3割増やすのがせいぜいで、7割も増やすことができる薬はtorcetrapibが初めてでした。HDL-Cの作用については良く分からない点も大きいのですが、大きな治療効果を持つ薬が実用化されれば、臨床研究が加速します。HDL-Cの科学を切り開く先鋒役として大きな期待を受けていました。

この薬を開発していたファイザーにとっても重要でした。年商が史上初めて100億ドルを越えた超大型薬、atorvastatinの特許が2010~11年に失効するからです。これだけの大型薬の穴を埋めるには市場ポテンシャルが極めて大きい新薬を投入しなければなりません。torcetrapibは数少ないチャンスでした。8億ドルという巨額の予算を投じて複数のフェーズⅢ試験を実施していたのですが、最も重要な大規模長期アウトカム試験、ILLUMINATE試験の中間安全性解析で有害性が発覚し、07年に開発が中止されました。

毒性の原因ははっきりしていません。一番疑わしいのは血圧上昇作用ですが、本当ならば、LDL-C低下作用やHDL-C増加作用で補って十分お釣りがくるはずでした。その後、アテローム抑制作用を調べたIVUS試験やCIMT試験の結果が明らかになりましたが、全く効果がありませんでした。このため、様々な疑問が浮上しました。CETPを阻害してHDL-Cを増やしても心血管リスクを削減できないのでは?そもそも、HDL-Cを増やしても無駄なのでは?といった疑問です。

ファイザーは異なった化学構造を持つCETP阻害剤も開発しています。メルクやロシュ(日本たばこから導入)は既にフェーズⅡ試験を完了して、フェーズⅢの是非を検討している段階です。これらのコンパウンドには血圧上昇リスクは見られない模様ですので、torcetrapibの毒性の原因が血圧上昇なら、期待できることになります。水面下で研究開発している企業にとっても重要な関心事でしょう。それだけに、ILLUMINATE試験の詳細解析結果の発表が待望されていました。


ILLUSTRATE試験のハイライト



  • 冠動脈疾患を持つ患者や二型糖尿病患者にatorvastatinを投与してコレステロール管理を行ったうえで、約15,000人を偽薬群とtorcetrapib(60mgを一日一回経口投与)群に無作為化割付し、二重盲検試験を実施。観察期間は4.5年間の予定だったが、途中で打ち切られたのでメジアン1.5年間に留まった。

  • torcetrapib群は12ヶ月間でHDL-Cが72%上昇(偽薬群は2%上昇)、LDL-Cが25%低下(同3%上昇)したが、最大血圧は5.4mm Hg上昇した(同0.9mm Hg上昇)。

  • 事前の仮説ではtorcetrapib群は心血管リスクが2割低いと推定されていたが、実際には、中間解析でハザードレシオが1.25倍となり、むしろ有害だった(統計的に有意)。死亡リスクも1.58倍と有意に高かった。

  • 事後的分析では、血圧上昇がメジアン値より大きかった患者と小さかった患者の死亡リスクには大きな差が無かった。一方、血漿カリウム値の低下や血漿重炭酸値の増加がメジアン値より大きかった患者の死亡リスクは高かった。


血圧上昇だけが悪い?


この分析では、血圧上昇と死亡リスクの間に相関性は見られませんでしたが、分析方法が適当ではなかったのかもしれません。torcetrapibは一部の患者で15mm Hg以上上昇することがありますが、このような患者の死亡リスクがどうだったのか知りたいところです。論文著者もこの分析には納得していないようで、血圧上昇が原因である可能性を否定していません。AHA科学部会ではメルクの動物試験結果も発表されました。torcetrapibはアルドステロン増加を通じて血圧を上げるというもので、ILLUSTRATE試験で見られた血漿カリウム値・重炭酸値の変動と合致しています。このため、血圧犯人説が有力になっているようです。

しかし、ILLUSTRATE試験の結果は血圧だけでは説明できないでしょう。過去のアウトカム試験で観察された、LDL-CやHDL-C、血圧と心血管リスクの相関関係を今回のデータに当てはめると、LDL-C低下でリスクが0.78倍に低下し、血圧上昇で1.25倍に上昇し、HDL-C増加で0.25倍に低下するので、ネットで0.24倍に低下する計算になります。HDL-Cに関するエビデンスは信頼性が十分ではなく、また、torcetrapibにあてはまるかどうかも怪しいです。しかし、少なくとも血圧上昇の効果はLDL-C低下でオフセットできるはずです。HDL-C増加の好影響が残るはずなのに、実際には逆でした。

CETP阻害剤の作用は、HDL-C中のコレステロール・エステルがCETPという輸送体によってLDL-CやVLDL-Cに移送されるのを防ぐことです。コレステロール・エステルが減少するとHDL-Cが分解されやすくなるので、CETP阻害剤はHDL-Cを長持ちさせる効果があります。HDL-Cは体の組織から余ったコレステロールを回収するので、長持ちすれば、アテローム硬化のような血管壁内部にコレステロールが溜まる病気の治療には有益なはずです。

しかし、CETP阻害剤によるHDL-Cの延命がどの程度有益なのかは良く分かりません。ゴミ回収車の例で考えて見ましょう。輸送能力を増強するには、台数を増やす(HDL-Cの新規生成を促進する)方法と作業時間を延ばす方法がありますが、効果は後者のほうが小さいでしょう。作業員が疲れて能率が落ちるかもしれませんし、一台の車に積める量は限られているのですから、満杯状態でウロウロするだけの車も出てくるでしょう。torcetrapibの場合、CETPと結合したままHDL-Cと一緒に行動することになりますので、回収作業の妨げになるかもしれません。変なものがくっついているわけですから、狭い道で引っ掛かる(HDL-Cが本来の作用と異なる影響をもたらす)ようなこともあるかもしれません。

CETP阻害剤にはまだ分からないことが数多く残っているようです。血圧上昇リスクのない薬でもう一度大規模試験にチャレンジする余地はありそうですが、成功を期待するのは楽観的なのではないでしょうか。


Valsartanは名古屋では引き分けに

次は、同じくACCのLate-breakerで発表されたNagoya Heart Study(NHS)です。試験の内容や結果は納得できるものですが、分からないのは、Kyoto Heart StudyやJikei Heart Studyとの関係です。この二本の試験ではvalsart...