2008年10月26日日曜日

血糖強化治療試験の総括

今年は中高年二型糖尿病患者を対象とした血糖強化療法試験の結果が三本、明らかになりましたが、何れも心筋梗塞など大血管性合併症を防ぐ効果が確認されませんでした。それどころか、三本中一本では心血管疾患による死亡が有意に増え、もう一本でも数値上増えました。

多数決で答えが出るなら話は簡単です。黒と決まったわけではないと開き直ることも可能でしょう。しかし、同じ強化療法といっても特にアグレッシブな治療を行なった試験が二本とも好ましくない結果になったことを考えれば、等閑には伏せません。以下、もう一度振り返ってみましょう。

最初に、三本の試験のデザインを復習しておきましょう。ACCORD試験とVADT試験は対象患者や実施地域が類似しています。異質なのはADVANCE試験で、第一に、組入れ条件でHbA1cを問うていません。血圧降下剤の強化治療試験を兼ねていたことが原因でしょう。平均病歴は他の試験と大差ありませんが、被験者の9%は薬物療法未経験でした。これらのことから、ベースライン時点のA1c平均値が7.2%と他の二本(8.1%と9.4%)より低くなっています。強化療法群の治療目標も6.5%以下と、他の二本(6%未満)より若干高く設定されていました。治験中の低下幅も低下スピードも穏やかだったのはこれが原因でしょう。患者背景でもう一つ目立つのは平均体重が78kgで他の二本が90kg台であるのと好対照です。血糖管理や体重管理が比較的良好な患者を組入れたのがADVANCE試験でした。

血糖強化療法試験の概要

ADVANCEACCORDVADT
対象二型糖尿病(HbA1c制約なし)で大小血管性疾患既往又は高リスク、55歳以上二型糖尿病(HbA1c7.5%以上)で心血管疾患既往又は高リスク、40~79歳二型糖尿病(HbA1c7.5%超)で心血管疾患既往又は高リスク、41歳以上
実施地域欧州、アジア、豪州、北米北米米国
治療方針強化療法群は≦6.5%、標準療法群は各地域のガイドラインに則る強化療法群は<6%、標準療法群は7-7.9%を目指す強化療法群は<6%、標準療法群は8-.9%を目指す
追跡期間メジアン5年平均3.5年メジアン6年
患者背景:
年齢、女、病歴66歳、43%、8年62歳、38%、10年60歳、3%、11.5年
A1c、CVD既往7.2%、32%8.1%、36%9.4%、40%
体重、血圧、LDL-C78kg、145/81、121mg/dL94kg、136/75、105mg/dL97kg、132/76、105mg/dL

次に、治療成果を見てみましょう。ACCORD試験もVADT試験も、強化療法群の平均A1cは目標値まで低下しませんでした。達成を目指して多剤併用し、標準療法群と比べてインスリンを積極的に用いたため、16-21%の患者で低血糖イベント(他人の手助けが必要となった事例だけをカウント)が発生しました。

合併症発生率を見ると、三本とも非致死的な心筋梗塞は若干少なく、非致死的脳卒中も同程度または少ないという、有意ではないにせよ好ましい結果になりました。ところが、冒頭に書いたように、ACOORD試験では心血管疾患による死亡が有意に多く、VADTは数値上多く、数値上少なかったのはADVANCE試験だけでした。

血糖強化療法試験の結果

ADVANCEACCORDVADT
強化療法標準療法強化療法標準療法強化療法標準療法
n5571556951285123899892
A1c(%)6.476.47.56.98.4
最大・最小血圧(mmHg)136/74138/74126/67127/68125/68126/69
LDL-C(mg/dL)10210391917475
体重(kg)78779794nana
非致死的心筋梗塞(%)2.72.83.64.66.16.3
非致死的脳卒中(%)3.83.81.31.223.1
心血管死(%)4.55.22.61.843.2
全死亡(%)8.99.65411.310.7
低血糖症(%)2.71.516.25.121.19.7

薬剤別使用率(期中、%)

ADVANCEACCORDVADT
強化療法標準療法強化療法標準療法強化療法標準療法
インスリン412477559074
metformin746795876055
SU剤91598774nana
グリタゾン171192587262

他の心血管リスク因子の管理状況を見ると、ADVANCE試験は平均血圧も血清LDL-Cも数値が一番悪くなっています。今日のガイドラインに則った多面的な治療を受けている患者を対象に、血糖値の強化療法の意義を探索した試験とは言いにくい内容です。

これらのことを考えれば、病歴が比較的長く心血管リスクも高い中高年を対象に、多面的な治療を行った上で更に、血糖値をアグレッシブに治療した試験、という形容に最も相応しいのはACCORD試験で、その次がVADTとなります。それだけに、この二つの試験の結果を軽視することはできません。

なぜこのような期待を裏切る結果になったのでしょうか?第一に、血糖管理不良の患者だからといって、短期間に大きく低下させると反動がでるのでしょう。ADVANCE試験の研究者は米国糖尿病学会で、血糖値は紳士的に下げるべしと語っていました。欧州糖尿病学会の論評者は、一歩踏み込んで、インスリンのリスクを指摘していました。一日の血糖値の変動が大きくなると酸化ストレスが高まるとか、自律神経型の糖尿病性神経症に低血糖症が重なると有害、とか語っていました。

それでは、どう対処すれば良いのでしょうか。多くの研究者が言っているのは、10年経った段階で慌てて治療するのではなく、もっと早い段階で十分に管理すべきということです。それはその通りですが、病歴の短い患者を対象に実施されたUKPDS試験でも、年を追うにつれて血糖値は上昇していきました。今回の三本の試験の被験者は、決して例外的とは言えないでしょう。努力しても血糖値の上昇を抑えられない人たちはどうしたらよいのでしょうか?

多面的な介入に尽きるでしょう。心筋梗塞リスクを削減するのに一番効果があるのはスタチン、次は血圧降下剤なのですから、治療ガイドラインに則った積極的な治療が最優先です。血糖管理は、個々の患者背景に即してフレキシブルに目標を決めたほうが良さそうです。少なくともACCORDやVADTの患者背景に類似した患者は、多剤併用のリスクに注意すべきでしょう。

アメリカでは今年7月のFDA諮問委員会で、血糖治療薬の承認基準が俎上に上がりました。クリーブランド・クリニックのニッセン博士とデューク大学のクリフ博士という、心臓学の大物研究者が、血糖値が下がればそれで十分という『血糖中心主義』を脱して、新薬が臨床的転帰を改善することを確認するよう主張したのです。二型糖尿病の臨床研究の中心が、代謝学・内分泌学者から心臓学者に変わりつつあることを示しています。

全ての患者を同じように治療するのではなく、若くて寿命の長い患者は十分な血糖管理を行い数十年後の小血管性合併症を防ぐことを優先する。高齢患者は心筋梗塞予防を最大の目標に置き、血糖管理は妥協する、というような使い分けが必要でしょう。勿論、このような使い分けを支持するエビデンスは十分とはいえません。今後も、ACCORDのような試験を積極的に実施する必要があるでしょう。


2008年10月4日土曜日

UPLIFTがSpirivaを救った

COPD(慢性閉塞性肺疾患)の維持療法薬のベストセラーであるSpiriva(tiotropium)を用いたUPLIFT試験の、安全性データが学会発表に先駆けて公表されました。死亡リスクや心筋梗塞リスクは見られないという、ホッとする内容でした。


このムスカリン受容体拮抗剤に関しては、昨年来、ネガティブなニュースが続きました。


  • 07年 12月:Advair(吸入ステロイドとベータ2作用剤のコンビ薬『アドエア』)とSpirivaを比較したINSPIRE試験で、COPDの憎悪リスクは同程度だったが、Advair群の全死亡リスクはSpiriva群の0.48倍で有意差があったことが発表された。心臓疾患による死亡は1%対3%でここでもAdvairのほうが好成績だった。INSPIRE試験は欧州の重度COPD患者1300人を対象に2年間実施された、多施設無作為化二重盲検・ダブルダミー(全ての患者がAdvairの吸入器とSpirivaの吸入器を使用・・・片方は偽薬入り)試験。
  • リンク:First head-to-head study comparing common treatments for patients with COPD shows quality of life and survival benefits for patients treated with Seretide(GSKプレスリリース)
    同:日本法人による日本語訳

  • 08年3 月:FDAがEarly Communication(FDAが結論を出す前の段階で発出される情報)を出してSpirivaのメーカーであるベーリンガー・インゲルハイムから脳卒中リスクに関連する報告を受けたことを公表。過去に実施された偽薬対照試験29本、13500人のプール分析で、千人年当りの推定発生数が8人と偽薬群の6人を上回った。FDAは、今後、提出されたデータを精査すると共に、UPLIFT試験の結果が纏まったらそのデータも分析した上で、結論を出す考えを示した。
  • リンク: Early Communication about an Ongoing Safety Review of Tiotropium(FDA)

  • 08年9 月:Journal of American Medical AssociationにSonal Singh等が独自に実施したメタアナリシスの論文が掲載。SpirivaやAtrovent(ipratropium・・・Spirivaが発売されるまでは第一選択薬だったムスカリン受容体拮抗剤)の臨床試験17本、14783人の分析で、心血管疾患死・心筋梗塞・脳卒中の発生率が1.8%と対照群の 1.2%より有意に高かった(relative risk 1.58、95%信頼区間1.21-2.06、p<0 .001="" p="0.06)。</li">
    リンク:Inhaled Anticholinergics and Risk of Major Adverse Cardiovascular Events in Patients With Chronic Obstructive Pulmonary Disease(JAMA)


近年はVioxxやAvandiaなど、メタアナリシス論文の発表が契機になって安全性懸念が広がることが多かったので、先行きが危惧されましたが、ここで救世主が現れました。02年に開始したUPLIFT試験の結果が纏まったのです。

薬効解析(一秒量の悪化を抑制する効果)は10月5日に欧州の呼吸器学会ERSで発表される予定ですが、9月24日に研究者が安全性解析結果を記者発表しました。

リンク:Landmark UPLIFT study reaffirms the safety of Spiriva (tiotropium) in patients with Chronic Obstructive Pulmonary Disease(Leuven大学病院のDecramer教授のプレスリリース)

リンク:UPLIFT (Understanding Potential Long-term impacts on Function with Tiotropium) Safety Study Webcast Summary, Boehringer Ingelheim Pharmaceuticals, Inc.(ジャーナリスト向け電話会議のスライドと音声・・・UCLAのTashkin医学博士等が説明・質疑応答・・・08年10月4日アクセス)


UPLIFT 試験はCOPD患者6000人をSpiriva群と偽薬群に無作為割付して4年間実施した二重盲検試験で、日本を含む37ヵ国の487施設で実施されました。患者背景は平均年齢64歳、男が75%、喫煙歴49パックイヤー、現在でも喫煙している人が30%。GOLD分類に基くステージはII/III/IV が夫々46%、44%、8%。高血圧症を中心に血管性疾患有病者が45%となっています。同時使用薬は、抗コリン剤以外の薬は禁止されていなかったため、長期作用性ベータ2作用剤の期中使用率が72%、吸入ステロイドが74%、theophyllineが35%でした。

主評価項目はFEV1の低下率、二次的評価項目は全死亡、下部気道疾患による死亡、有害事象、増悪、増悪による入院、QOLなど。死亡例は第三者委員会がアジュディケーションしました。

結果は、治療中の死亡がSpiriva群12.8%、偽薬群13.7%、ハザードレシオ0.84(95%信頼区間0.73-0.97)。治験の検出力や有意性判定水準は明らかではありませんが、数値の上では、死亡リスクが有意に小さかったことになります。治験離脱の群間の偏りを補うために離脱者の生存状況調査も行われました。1440日経過時点の死亡リスクは14.4%対16.3%、ハザードレシオ0.87(0.76-0.99)、1470日経過時点は各14.9%、16.5%、0.89(0.79-1.02)でした。有意性が曖昧になりましたが、概ね同じような結果になっています。

個別の有害事象はイベント数が少ないため信頼区間が広く、明確なことは分かりませんが、特別な問題は浮上しなかったようです。脳卒中(人年ベース)は有害事象全体でも、深刻な事例でも、致死例でも、有意差はありませんでした。心筋梗塞も同様です。COPDの深刻な憎悪はrisk ratioが0.84(0.76、0.94)となりました。

治験論文が刊行されていないので詳しいことは分かりませんが、少なくとも死亡リスクが確認されなかったことは一安心でしょう。

天は自ら助くるものを助く。慢性病薬の長期試験を求める声が高まっていますが、ベーリンガー・インゲルハイムはそのような声を無視しなかったことが幸いしました。pioglitazoneもPROACTIVE試験のおかげでrosiglitazone騒動に巻き込まれるのを防ぐことができました。






Valsartanは名古屋では引き分けに

次は、同じくACCのLate-breakerで発表されたNagoya Heart Study(NHS)です。試験の内容や結果は納得できるものですが、分からないのは、Kyoto Heart StudyやJikei Heart Studyとの関係です。この二本の試験ではvalsart...