2008年7月27日日曜日

SEAS試験に大騒ぎはするな

Vytorin(simvastatinとezetimibeのコンビ薬)のアウトカム試験、SEASの結果が発表され、アメリカのマスコミを賑わしています。ENHANCE試験に続いてまた臨床的な転帰を改善する効果が確認されなかったことに加えて、癌の発生に偏りがあったこと、そして、正式な学会・論文発表ではなく主導した研究者がプレスリリースと記者会見で発表するという異例さが波紋を大きくしたのでしょう。

私の印象では、騒ぎすぎです。マスコミも、研究者も、私たち聴衆も、一本の試験だけを見て喜びすぎたり、悲しみすぎたりするべきではありません。アウトカム試験は重要なエビデンスですが、後になって実は...という話が出ることは珍しくありません。結論を急がずに、他の試験で確認するという姿勢が必要でしょう。

それはそれとして、ezetimibeはいつになったら、アウトカム試験が成功するのですかね。既に沢山の人が使っているのですから、臨床的な転帰を改善することができるのかどうか、この点に関してはもっと早く答えを出すべきだったのではないでしょうか。


SEAS試験の概要




  • 大動脈弁狭窄症の治療におけるコレステロール低下剤の効果を確認する無作為化偽薬対照二重盲検試験。北西欧の医療施設173箇所で2001年から2008年にかけて実施。

  • 対象は45-85歳の無症候性軽中度大動脈狭窄症患者で、リウマチ熱などによるものは対象外。主な除外条件は、症候性心不全、冠動脈などの血管疾患、二型糖尿病や高脂血症などコレステロール低下剤が適応になる患者など。

  • Vytorin群はsimvastatin 40mgとezetimibe 10mgを配合した薬を、偽薬群は偽薬を一日一回投与。フォローアップ期間は4年間。

  • 患者背景は、平均年齢68歳、女が39%、平均駆出率68%。大動脈閉鎖不全(グレード2-3)が見られたのは15%、僧帽弁閉鎖不全は1%。51%が高血圧症、19%が喫煙者。LDL-C値は平均139±36mg/dL。

  • 主評価項目は大動脈弁狭窄症関連イベントとアテローム硬化関連イベントの複合評価項目。二次的評価項目は大動脈弁狭窄症関連イベント(弁置換術の施行、心不全による入院、心血管死)のみと、アテローム関連イベント(非致死的心筋梗塞、冠動脈バイパス術、経皮的冠介入術、不安定狭心症による入院、非出血性脳卒中、心血管死)のみの解析。

  • 試験薬群のLDL-C値は半年で偽薬比76mg/dL(61%)低下。

  • 主評価項目の発生数は試験薬群が333人、偽薬群は355人。ハザードレシオは0.96、95%信頼区間0.83-1.12で、有意差はなかった。

  • 二次的評価項目の大動脈弁狭窄症関連イベントは同様に308人対326人、0.97、0.83-1.14で有意差なし。アテローム硬化関連イベントは148人(15.7%)対187人(20.1%)で、統計的に有意な差があった(相対リスク削減率22%、95%信頼区間3-37%、p=0.02)。

  • 試験薬は全般的によく忍容された。服用を止めた患者は両群同程度だった。

  • 癌の有害事象は各93人(9.9%)対65人(7.0%)で、未調整p値は0.03。癌による死亡は39人(4.1%)対23人(2.5%)で未調整p値は0.05。癌の種類に偏りはなく、また、投与期間が長いほど差が拡大するような傾向は見られなかった。

  • 癌に関する所見は規制局やスポンサーであるメルク、そしてVytorinの他の二本のアウトカム試験を実施している研究者にも報告された。オックスフォード大学の生物統計学・疫学者であるRichard Peto博士は、IMPROVE-IT試験(急性冠症候群を対象にVytorin 40/10mgとsimvastatin 40mgを比較)とSHARP試験(慢性腎疾患を対象に偽薬、Vytorin 20/10mg、simvastatin 20mgを比較)の進行中の二試験の途中データを用いて、SEAS試験から浮上した仮説を検証したところ、否定的な結果が出た(リスクが1.5倍であるとの仮説が棄却された)。IMPROVE-IT試験とSHARP試験の癌の発生数は試験薬群が313例、対照群が326例で、うち死亡例は97人対72人だった。特定の癌種との関連や、投与期間とリスクの相関性も見られなかった。

  • 参考リンク:

  • オックスフォード大学臨床試験サービス部・疫学試験部のリリース:

  •   Independent analyses of the SEAS, SHARP and IMPROVE-IT studies of ezetimibe(pdfファイル)

  •   Independent analyses; Sir Richard Peto's slides(pdfファイル)

  •   Results from tthe SEAS (Simvastatin and Ezetimibe in Aortic Stenosis) Study

  • 記者会見のウェブカスト(プレゼンテーション用スライドが見れないのが残念)

  • Cardiosource:Trial Summary

  • theheart.org:Vytorin misses primary end point in SEAS study

  • theheart.org:Cardiologists put their oar into rocky SEAS and debate the results




スタチンは服用者がたくさんいるので疫学的試験の題材として人気があり、これまでにも服用者は癌が少ないなど、色々な論文が出ています。大動脈弁狭窄症は病気の発生メカニズム自体にコレステロールが関与している可能性があり、前向き試験で効能を確認したのですが、最初の大規模な試験であるSEASは失望的な結果になりました。記者会見で発表した、運営委員会の会長であるTerje Pedersen博士(ノルウェーのUlleval University Hospital)は、効果はなかったと断言しています。スタチンの適応になる、高脂血症患者や冠動脈疾患患者ならともかく、単に大動脈弁狭窄症というだけでは、LDL-C治療の適応にはならないのでしょう。一つの試験だけで即断すべきではありませんが、おそらく、同じような試験はもう実施されないでしょう。この試験自体が、当初はsimvastatinの試験として開始されたにも関わらず、患者が集まらずに資金不足に陥り、メルクに追加支援を求め、Vytorinの試験として再ロンチされたという経緯があります。

アテローム硬化に関連する合併症のリスクを削減する効果が見られたのは、他の疾患における過去の治験と同じで、違和感はありません。しかし、この発見を喧伝するのは不当でしょう。第一に、評価方法の客観性に疑問が残ります。スタチンの最大の効能は心筋梗塞削減で、本試験でも偽薬比半減したようですが、イベント数自体は少なかったようです。アテローム関連イベントのうち大きな差が出たのは、冠動脈バイパス術でした。記者会見でのコメントによると、心臓弁置換術と一緒に施行されることが多いそうですが、試験薬群は一緒に行わない例が多かったようです。LDL-C治療薬の試験は二重盲検といってもLDL-C値検査をすれば分かる訳ですから、医師の判断に左右されるイベントは注意が必要です。第二に、LDL-C値に61%もの差があったのに、リスクが22%しか低下しなかったのは失望的です。LDL-C値の低下幅と虚血性心血管イベントリスクには相関性があり、他の適応症なら76mg/dLもの差があればもっと大きなリスク削減が実現できたはずです。心筋梗塞は半減した訳ですが、逆にいえば、本試験の対象となった患者は心筋梗塞を予防してもあまり意味がないことになります。第三に、この試験はコンビ薬と偽薬の比較で、ezetimibeという薬だけの効能については何も語ることはできません。

癌に関しては良く分かりません。スタチンの試験では、高齢者を対象としたpravastatinの試験で偏りが発生したことがありますが、数々の試験のメタアナリシスの結果では、癌のリスクはないということになっています。とはいえ、発がん物質と認定されている物質でも実際に癌を起こそうとしたら何年も投与し続けなければならないことを考えれば、4-5年間の試験で答えを得るのは難しいでしょう。

この試験はコンビ薬の試験なので、犯人がsimvastatinなのか、それともezetimibeなのか、はっきりしません。IMPROVE-IT試験はVytorinとsimvastatinの比較なので犯人探しをする上で重要な試験ですが、まだ組み入れが完了していないくらいで、フォローアップ期間は短いでしょう。SHARP試験はsimvastatin群の組入れ数が他の群の四分の一と少なく、事実上、Vytorinと偽薬の比較です。

Peto博士の統計学的検証は、リスクが1.5倍という仮説を棄却しましたが、逆にいえば、1.4倍である可能性は残っています。リスクがあるかもしれないし、ないかもしれない、という程度のことしかいえないのです。

本試験では、アテローム硬化関連イベント防止効果も、癌のリスクも、p値は同程度でした。正式な評価項目のほうがデータの信頼性が高いのですが、一方で、主評価項目が達成されなかった時は二次的評価項目が成功しても慎重に考えるべきです。また、効能と安全性は、程度は同じでも前者は慎重に、後者は深刻に、受け止めるべきです。癌の所見は偶然でVytorinのアテローム硬化防止効果は真実、という玉虫色の解釈は不当でしょう。

Robert Califf博士(IMPROVE-IT試験の主導研究者の一人)は、記者会見に電話で参加したため声がスピーカーから天の声のように流れました。実際、博士の主張が一番合理的に聞こえました。臨床試験一本の結果に過敏に反応してはいけない、様々なエビデンスに照らし合わせて総合的に判断すべきだ、と、いつものように重々しい口調で述べたのです。

Vytorinは現在の医学が抱える様々な縮図であり、だから議論に尾ひれが付きがちです。今回の試験は、もし癌の問題が発生しなかったら、「Vytorinはアテローム硬化の悪化を防ぐという本来の役割は果たした」と学会で喧伝されたかもしれません。その結果、ezetimibeという活性成分の臨床的転帰改善作用は確認されていないという事実を私たちは忘れてしまうかもしれません。この問題は重要ですが、それはそれとして、野球選手が将棋で名人に勝っても負けても、世間話の対象にしかならないでしょう。

SEAS試験は、私たちにはまだまだ知らないことが多いということを教えてくれました。大事なのは材料不足を想像力で埋めることではなく、不確かなことを確かにするべく、臨床研究を続けることでしょう。製薬会社に対して、大規模長期試験を実施するよう要求し続けることでしょう。




2008年7月6日日曜日

Steven Nissen博士の功績

Avandia(rosiglitazone)のメタアナリシスを行って心血管リスクに関する問題提起を行った、スティーブン・ニッセン博士とはどのような人なのでしょう?

Wikipediaは以下のように記しています。


  • 1949年生まれ。心臓学者。クリーブランド・クリニックの心血管医学部門のチェアマン。ミシガン大学で理学士と医学博士を取得。

  • 1987年に、冠動脈に損傷を与えるプラクを超音波造影で調べる手法(IVUS)を開発し、一躍有名に。

  • Time誌が2007年に世界で最も影響力のある100人の一人として取り上げた。

リンク:英語版Wikipedia Steven Nissenの項


学生時代は新聞部に属して、ベトナム戦争に反対する論陣を張ったこともあるようです。そのニッセン博士が医学界を飛び出して我々一般人にも広く知られるようになったのは、医療用医薬品の安全性に関する数々の警告でした。以下、振り返ってみましょう。


Vioxx事件


ニッセン博士は2001年2月8日のFDA関節炎諮問委員会に同心臓腎臓薬諮問委員会のメンバーとして出席しました。Vioxx(rofecoxib)は99年の発売後、「胃腸に優しい鎮痛剤」として広く用いられていました。ところが、胃腸安全性を確認する大規模な試験(VIGOR)で、深刻な心血管リスクの疑いが浮上したことが、諮問委員会で明らかにされたのです。対照群(naproxenを投与)と比べてリスクは倍でした。委員会の後、ニッセン博士はクリーブランド・クリニックの当時の上司であったエリック・トポル博士等とVioxxの心血管リスクに関するメタアナリシスを行い、JAMA誌にSpecial Communicationとして発表しました。

リンク:Risk of Cardiovascular Events Associated With Selective COX-2 Inhibitors

Vioxxを開発したメルクは、別の臨床試験を急遽中断し、心血管イベントの発生状況に偏りがないことを確認しました。VIGOR試験のデータがレーベル(添付文書)に収載されたのは諮問委員会の一年後で、内容は、治験結果が区々で結論は出せないという玉虫色のものでした。

同社は、大腸ポリープ再発予防試験APPROVeのプロトコルに、血栓性疾患を監視する手続きを導入することによって、関節炎用途での安全性を確認しようとしました。更に二本実施する予定でしたが、結局、この最初の長期投与試験でリスクが表面化。血栓性心疾患リスクが偽薬群の2倍と有意に高かったため、メルクは04年9月に世界中の市場から製品を自主回収することを決めました。その後、何万人もの患者が損害賠償訴訟を起こしました。議会が介入し、FDAに安全性監視を強化するよう求めました。

Vioxx事件におけるニッセン博士の功績は、FDAと諮問委員しか知らなかった情報を世間に知らしめるスクープを行ったことです。安全性に関する深刻な懸念が浮上しているにも関わらず、テレビや新聞、医学誌では胃腸に優しい鎮痛剤という良いイメージだけが伝えられていた、情報伝達の偏りを正そうとしたのです。


Natrecor事件


Natrecor(nesiritide)はバイオ企業が開発した遺伝子組換え型B型ナトリウム尿排泄亢進ペプチドで、急性非代償性心不全の治療薬として01年に承認されました。それに先立つ同年5月のFDA心臓腎臓薬諮問委員会では全員が承認に賛成しました。しかし、ニッセン博士だけは条件を付けるよう提言しました。安全性に関する深刻な懸念があることや、誤用のリスクがあることから、レーベルに黒枠警告を設けることや医療従事者に十分や教育を行うこと、そして、大規模な試験を行って安全性を確認することを主張したのです。

この事件におけるニッセン博士の役割は、FDAが提言を採用しなかったために、終わってしまいました。その後は別の研究者が中心になって、Natrecorの安全性問題を追及することになります。Sackner-Bernstein等はFDAのデータを元に腎毒性に関する独自の分析を行い、Circulation誌に論文を発表しました。

リンク:Risk of Worsening Renal Function With Nesiritide in Patients With Acutely Decompensated Heart Failure

Natrecorは治験で腎機能悪化や死亡リスクの懸念が浮上していたにも拘らず、医療従事者は、むしろ腎機能を改善する薬として用いていました。FDAや一部研究者の懸念は全く伝わらなかったのです。正しい情報が伝わらないという問題点も浮き彫りになりました。

Natrecorを開発した企業を買収したジョンソン・エンド・ジョンソンは、エキスパート・パネルの勧告に則り、長期投与(未承認)しないことを呼びかけると共に、大規模安全性確認試験の実施を決めました。実際に開始されたのは2年後の07年で、完了は2011年、つまり承認の10年後になる予定です。


ACAT阻害剤事件


ACAT阻害剤は、マクロファージがコレステロールを捕食してアテローム硬化を進行させたり、肝臓がApoBを生産したりするのに必要な酵素を阻害する薬です。ニッセン博士はCS-505(pactimibe)のIVUS試験を主導しましたが、スタチンと偽薬を服用した群の総アテローム量が減少したのに、スタチンとCS-505を服用した群は若干増加しました(群間に有意差なし)。ニッセン博士は05年のAHAのlate-breakerで治験結果を発表すると共に、ファイザーがavasimibeで実施したIVUS試験でも同様な結果が出ていること、そして、ACATにはACAT1と2が存在し、前者はアテローム部位にコレステロールが蓄積するのを阻害する一方で、周辺部位にも作用して脂肪欠乏を加速する可能性があるという論文が刊行されていることなどを指摘。ACAT1を阻害する薬はこれ以上、臨床開発すべきではないと強く主張しました。

CS-505を開発していた三共(当時)は、学会発表の直前に開発中止を発表しました。イーライリリーもACAT阻害剤を開発していましたが、その後音沙汰がないところを見ると、中止になったのでしょう。

この事件におけるニッセン博士の役割は、第一に、IVUS手法を用いて薬の効果や安全性を逸早く見抜いたことです。この手法がなかったら、大規模なアウトカム試験を実施せざるを得ず、結果的に、三共など多くの会社が莫大な投資を行って不毛に終わっていたでしょう。場合によっては、アウトカム試験が中立的ではなくネガティブな結果になって、被験者に被害を与えていたかもしれません。

第二に、成功しなかった試験の結果を著名な学会の最も注目される場で発表したことです。学会や論文発表にはパブリケーション・バイアスが存在し、成功しなかった試験は公表されにくい傾向があります。不都合な真実を隠す場合もあるでしょうし、失敗は成功の母なので、貴重な経験を他の研究者・企業に教えたくないという場合もあるでしょう。しかし、暗闇を歩く時には誰かが落とし穴に落ちたという情報は極めて重要です。他の人に警告しなかったら、犠牲者が増えるでしょう。犠牲者が他の研究者、他の企業なら、お互いにプロなのですから、自分の未熟を反省すべきかもしれませんが、被験者に不当な被害を与えてはいけません。

AHAやACC学会は、このころから、成功しなかった試験の結果を積極的に取り上げるようになりました。ニッセン博士は、ACAT阻害剤という具体的な事例に基づいて、聴衆にメッセージを送ったのです。


muraglitazar事件


PPAR作動剤は核受容体を作動して、特定の遺伝子の発現を促す薬です。インスリン抵抗性改善作用を通じて血糖値を下げるだけでなく、トリグリセリド値やHDL-C値を穏やかに改善する作用も持っています。troglitazoneやrosiglitazone、pioglitazoneなど初期の薬はPPARガンマ選択的ですが、PPARアルファも作動することで脂質改善作用を増強したものがPPARアルファ/ガンマ作動剤です。BMSが開発したmuraglitazarはデュアル・アゴニストの第一号として04年に承認申請されました。フェーズIII試験の一つで心筋梗塞発生率に偏りが見られたため、FDA審査官は警戒感を示したのですが、諮問委員会では多数が承認を支持しました。

ニッセン博士等は、FDAが諮問委員会に向けて用意したブリーフィング資料(一般公開されている)のデータを元にフェーズII試験とフェーズIII試験のメタアナリシスを実施して、Journal of American Medical Associationに発表しました。心筋梗塞・卒中・死亡の相対リスクが対照群の2.23倍と有意に高いことを指摘し、心血管アウトカム試験で安全性が確認されるまで承認されるべきではない、と主張しました。

リンク:Effect of Muraglitazar on Death and Major Adverse Cardiovascular Events in Patients With Type 2 Diabetes Mellitus

FDAは承認可能(Approvable)と結論しBMSに通知しましたが、承認の条件として、心血管アウトカム試験の実施を求めました。開発が数年間遅れ、開発費が数億ドル上乗せされることになります。BMSはメルクと共同開発していたのですが、まず、メルクが提携解消を決定。BMSも開発を中止しました。

この事件におけるニッセン博士の役割は、第一に、HbA1cやHDL-Cのようなサロゲート・マーカーばかりを重視して、心筋梗塞のような糖尿病患者にとって非常に重要なリスクが疎かにされている現状に異議を唱えたことです。第二に、FDA諮問委員会というエキスパートの集団が下した判断に、部外者が公然と反対したことです。専門家は他の分野の専門家の意見を尊重するものですが、しかし、それが人類の利害に大きな係わりを持つ場合は傍観すべきではない、という考え方でしょう。

第三に、muraglitazarに留まらずPPAR作動剤全体に対する問題提起を行ったことです。troglitazoneは発売後一年も経たないうちに、深刻な肝臓障害が発生し、結局、2000年に自主回収されるまでに米国だけで200万人近い患者が服用し、100人近くが深刻な肝障害を発症しました。99年に肝毒性の面では安全な二品が承認・発売されましたが、市販歴を積み重ねるうちに、浮腫や心不全、網膜浮腫、骨折など様々な副作用があることが明らかになりました。

PPAR作動剤は非常に人気のあった開発分野で、多くの製薬会社が開発品を持っていましたが、その多くは開発中止になりました。マウスやラットの癌原性試験で陽性を示したことや、心肥大のような心毒性が用量・投与期間依存的に見られたことが一因です。しかし、これらの毒性試験の結果を知っているのは製薬会社とFDAなどの規制機関だけです。PPAR作動剤の動物試験のデータというと、一般の医学者や医療従事者が知っているのは好ましいデータばかりです。

二型糖尿病の諸悪の根源であるインスリン抵抗性を改善し、アディポネクチンの分泌を促進することで代謝異常を是正する・・・好ましい情報ばかりが流布し、確かに浮腫のリスクはあるが利尿剤で治療できるので深刻ではないとか、確かに皮下脂肪は増えるが内臓脂肪が減ることのほうが重要とか、LDL-C値が上昇したらスタチンで簡単に治療できるとか、ネガティブな情報は即座に否定されます。しかし、これらの情報はサロゲートマーカーの話ばかりで、心筋梗塞は増えるのか、減るのか、という患者にとって最も重要な話は後回しにされました。

The road to hell is paved with biological plausibility(地獄へ向かう道は、生物学的尤もらしさで舗装されている)。これはニッセン博士が好んで使う警句です。基礎研究を軽んじているわけではありません。ACAT阻害剤やPPAR作動剤の臨床試験結果を論じる中で、しばしば、基礎研究の成果を引用していることからも明らかです。Bench to Bedsideというコンセプトは、基礎研究の成果を臨床に活用することを呼びかけるだけではなく、臨床試験で検証してその成果をフィードバックするという双方向的なものであるはずです。基礎研究やサロゲートマーカーに基づくイメージだけが一人歩きして、アウトカム試験が疎かにされている現状を警告しているのです。心臓学では活発に実施されていますが、二型糖尿病では、アウトカム試験の裏付けがないまま、HbA1cは6.5%以下に抑えるべきとか、インスリンとPPAR作動剤の組み合わせは相乗効果があるとか、サロゲート・マーカー試験やポストホック・サブセグメント分析など不確かなエビデンスに基づくエキスパート・オピニオンが跋扈しています。

このような問題意識が背景になっているので、ニッセン博士が次に標的にしたのがAvandiaであったことは驚きではありません。


Avandia事件


AvandiaはPPAR作動剤の中で最大の売上高を誇る、大型薬でした。AvandiaとActos(pioglitazone)が承認された99年は、上述のtroglitazoneの肝毒性が問題になっていた時期で、FDA内部の一部の人たちが自発的にタスクフォースを作り、代わりの薬を承認することでtroglitazoneを自主回収に追い込む、という作戦を進めていたようです。FDAの上層部は自主回収に反対していたため、政治家にアプローチしたり、情報をマスコミにリークしたりもしていたようです。このグループのメンバーは、後のVioxx事件でも、Avandia事件でも登場します。FDAの現場と上層部の意見対立は今日でも続いているのです。

ニッセン博士等は07年にAvandiaの全ての臨床試験のメタアナリシスを行い、心筋梗塞リスクが有意に高く、心臓疾患で死亡するリスクもp=0.06と有意水準に近いという論文を刊行しました。

リンク:Effect of Rosiglitazone on the Risk of Myocardial Infarction and Death from Cardiovascular Causes

Vioxx事件で我々一般人にも「医薬品の安全性に関して警鐘を鳴らす人」として有名になった博士が今度はAvandiaを警告した、としてマスコミも大きく取り上げ、心配した患者が医師に問い合わせる事態になりました。この分析には反論も多かったのですが、やがて、グラクソ・スミスクラインが独自に実施した解析でも同様な結果であったことが明らかになり、世論はニッセン博士を支持する方向に向かいます。

FDAは諮問委員会を招集してAvandiaやActosの安全性について意見を求めました。FDA自身でもメタアナリシスを実施して、リスク因子を割り出そうとしました。これらの意見や分析を踏まえて、この二つのPPAR作動剤の添付文書に黒枠警告を盛り込むことを決めました。

この事件におけるニッセン博士の役割は、結果的に言えば、メーカーと規制機関だけが知っていた事実を独自に発見しスクープしたことです。メーカー側がメタアナリシス結果をFDAなどに報告したのは何年も前であったようですが、規制機関側はメーカー側が別の試験でリスクを確認するまで公表を待ちました。医療保険のデータを用いた分析ではリスクが浮上しなかったため、欧州は、添付文書に両方の事実と、本当にリスクがあるのかどうかは明らかではないという玉虫色の結論を載せる事を認めました。特別な警告は出さなかったので、それほどの懸念材料とは判断しなかったのでしょう。一方、FDAは、troglitazoneを自主回収に追い込んだメンバーが自らメタアナリシスを行うことを主張。安易な解決方法を排したことによって、皮肉にも、メタアナリシス結果の公表が遅れることになってしまいました。

この事件には、今日のアメリカが抱える様々な問題点が盛り込まれています。第一は、FDAの機能に関する問題。フェーズIII試験で懸念が浮上したにも関わらず、心血管安全性試験の実施を要請しなかった、あるいは、検出力の足りない試験で不十分なデータを集めることしか求めなかったのは適切だったのか?その試験の結果が出るのが発売の7年以上あとというのは遅すぎないか?警告・情報開示が遅れたのは現場と上層部の意見対立が原因ではないのか?

第二は消費者向け直接広告や医療従事者向け情報伝達活動の適切性。メタアナリシスで懸念が浮上したことは積極的には伝えられなかった一方で、06年に糖尿病予防試験や第一選択薬試験が成功したことは医学誌や学会で喧伝されました。都合の良い情報だけが流布し不都合な真実は一部の人たちしか知らないという、パブリケーション・バイアスです。

第三は、知的所有権問題が医学者の研究の自由の妨げになっていること。報道によると、ニッセン博士はメタアナリシスを行うことを決め、メーカーにデータの提供を求めたのですが、メーカー側が、論文刊行前に原稿を見せるという条件を付けた為、一旦、断念しました。政治家に相談したりして強制的に入手する方法を模索するうちに、メーカー側が治験結果をホームページで開示していることを知り、それを用いて分析を行いました。

臨床試験の結果は知的所有権の対象なので、スポンサーである製薬会社の支配下にあります。昨年も癌の学会で日本の会社の開発品の治験結果が発表された時に、スライドのあちらこちらに、「このデータは○○社の知的所有権の対象です」という警告が記されていました。難しい問題ですが、広く用いられている薬の安全性を調べる研究が、知的所有権によって妨害されるのは、社会全体にとって好ましいことではないでしょう。メーカー側が検閲を申し入れたことが、ニッセン博士の言動の過激さに拍車をかけたとしても不思議はありません。

第四は、ニッセン博士が衝撃的な形で警告したことの適切さ。ADAは学会にニッセン博士を招いてこの問題を討議するプログラムを急遽、設定しました。聴衆が発言する場も設けられたのですが、患者や医療を混乱させたと難詰する意見が出る度に、大きな拍手がありました。ニッセン博士の反論は、研究者が自分の発見を公表することができない暗闇のような社会とどちらが良いか、というものでした。アメリカは医療従事者向けだけでなく一般人向けの広告・情報提供も解禁されていますが、メーカー主導の情報提供はしばしば、バイアスを生みます。対抗するためには医学界も積極的に情報発信しなければならない、という考え方なのでしょう。

アメリカのメディアは、学会や医学誌で発表された専門的な情報を大きく報道することがしばしばあります。結果的に、患者が混乱したり、医師が問い合わせに追われたりします。これはこれで困りものですが、逆に、専門家が何も発言しないのも困ったものです。我が国でもインフルエンザ治療薬や抗癌剤の副作用問題が発生すると、メディアは昨日まで特効薬扱いしていたことを忘れて、魔女狩りを始めます。このような時こそ、エキスパートの意見が必要なのですが、誰も何も言ってくれません。ニッセン博士は、メタアナリシス論文を発表後、様々なメディアに出演して自分の意見を述べました。Avandia事件だけでなく、ファイザーがtorcetrapibの開発を中止したときも、医療メディアにコメントしたり、ラジオのニュース番組で聴取者の質問に答えたりしました。薬の情報をメーカーや規制機関、学会が独占せずに、患者と共有することを重視する姿勢が見えます。

Vioxxの安全性に関する諮問委員会で、ニッセン博士は、採決に棄権票を投じた委員に呼びかけました。私達が今日、ここに集まったのは何のためなのか。現在、多くの医療従事者や患者が、治療法の選択に頭を悩ませている。その人達に少しでも役に立つアドバイスをするのが私達の責務ではないのか。この一言をもってしても、ニッセン博士の言動の裏に患者に対する思いやりが存在していることが分かります。

Vioxx事件やNatrecor事件の解決まで何年もかかった反省からか、ニッセン博士の最近の言動は過激さを増しています。英雄のいない時代である今日、出る釘はやがて打たれ、葬り去られるでしょう。しかし、やがて、第二、第三のスティーブン・ニッセンが出現し托鉢を継ぐでしょう。私は、日本にもニッセン博士がいてくれたらと思っています。




Valsartanは名古屋では引き分けに

次は、同じくACCのLate-breakerで発表されたNagoya Heart Study(NHS)です。試験の内容や結果は納得できるものですが、分からないのは、Kyoto Heart StudyやJikei Heart Studyとの関係です。この二本の試験ではvalsart...