2009年2月28日土曜日

フィブラートの評価が低下

フィブラート系コレステロール治療薬の評価がアメリカやイギリスで低下しています。fenofibrateがFIELD試験で主評価項目を達成できなかったことが今になって響いてきたようです。この試験ではスタチンの服用状況に群間の偏りがあったので、2010年ごろにACCORD試験(偽薬群も含めて全員にスタチンを投与)の結果がでるまで待ってから考えようと思っていたのですが、私たちよりはるかに沢山の情報を持っているFDAやMHRA(イギリスの薬品監督庁)の意見は軽視できません。


最初に声を上げたのはMHRAでした。2007年11月のDrug Safety Updateで、以下のように注意を促しました。



*** 医療従事者へのアドバイス ***




  • フィブラートを第一選択薬として使うのは弧発性重度高トリグリセライド血症だけにすべきである。

  • 混合型高脂血症の患者に用いるのは、スタチンなどの有効な治療薬が禁忌あるいは不耐である場合だけにすべきである。

  • 原発性高コレステロール血症の患者の場合はgemfibrozil(注:日本では販売されていません)を考慮しても良いが、スタチン禁忌・不耐に限定すべきである。

  • スタチンとフィブラートの併用療法(注:日本は原則禁忌)は注意が必要で、ベネフィットが潜在的なリスクを上回る時だけにすべきである。gemfibrozilとスタチンの同時使用は回避しなければならない。




MHRAによると、フィブラート(bezafibrate、fenofibrate、gemfibrozil、ciprofibrate)は異脂血症の治療に長年用いられてきましたが、近年はスタチンのほうがtreatment of choiceとして用いられるようになりました。フィブラートは大規模な試験が5本実施されましたが、非致死的な心血管イベントを減らすトレンドはあったものの統計的に有意な水準に達したのはgemfibrozilの二本だけでした。一方で、死亡リスク抑制作用については殆どの試験でネガティブなトレンドが見られました。


臨床ガイドラインは、スタチンだけではトリグリセライドの低下やHDL-Cの上昇が十分でない場合にフィブラートの併用を推奨していますが、長期的な効用に関するエビデンスは不十分で、また、マイオパシーや横紋筋融解症のリスクが高まるので、注意が必要です。特に、gemfibrozilとスタチンの併用は薬物相互作用が懸念されます。


心血管疾患の初発再発予防効果に関するエビデンスは限定的であるため、この用途で第一選択薬として用いるのは最早正当化できない、とMHRAは結論を出しました。


FIELD試験についてはイギリスのSPC(添付文書)に、幾つかの有害事象が多かったことが記されています。



  • 膵炎(0.8%、偽薬群0.5%、p=0.031)

  • 肺塞栓(1.1%と0.7%、p=0.022)

  • 深静脈血栓(1.4%対1.0%、p=0.074)


fenofibrateは昨年、アメリカで新製剤のfenofibric acid(TriLipix)が発売されました。FDAはMHRAのような制限は課していませんが、添付文書で、二型糖尿病患者を組み入れたFIELD試験で冠状心疾患によるmorbidityと死亡を減らすことができなかったことに言及しています。



  • 主評価項目の冠状心疾患イベントはハザードレシオ0.89、95%CI 0.75-1.05、p=0.16

  • 副次的評価項目の総心血管疾患イベントはハザードレシオHR 0.89、95%CI 0.80-0.99、 p=0.04

  • 全死亡は各1.11、0.95-1.29、0.18でfenofibrateのほうが数値上、悪い

  • 冠状心疾患による死亡も各1.19、0.90-1.57、0.22と悪い


返す刀で他のフィブラートの大規模長期試験でも深刻な有害事象リスクが見られたことを指摘しています。



  • CDP試験(心筋梗塞後の患者にclofibrateを5年間投与)では死亡率には偏りはなかったが、手術の必要な胆のう炎や胆石症が3.0%と対照群の1.8%より多かった。また、FIELD試験と同じように、肺塞栓又は血栓性静脈炎の発生率が高かった(5.2%対3.3%、p<0.01)

  • WHOが実施した冠動脈疾患5000例にclofibrateを5年間投与し更に1年間追跡した試験では、年齢調整後死亡率が有意に高かった(5.7%対3.96%、p=<0.01)。腫瘍や胆嚢切除術後合併症、膵炎による死亡が多かった。

  • HHS(4081人の中年を組み入れた冠動脈疾患初発予防試験でgemfibrozilを5年間投与)試験では、全死亡が多かったがp値は0.19で有意ではなかった。但し、この試験の全死亡の解析は検出力が十分ではない。


フィブラートは二型糖尿病患者にgemfibrozilを投与したVA-HIT試験が成功し広く使われるようになったのですが、スタチンの登場で第二選択薬になってしまいました。スタチン併用で用いられることも多かったのですが、販売中止になったcerivastatinのように3A4薬物相互作用で筋毒性が飛躍的に高まってしまうことが難点です。fenofibrateは相互作用が比較的小さいのですが、gemfibrozil以外の多くのフィブラートと同様に、大規模長期試験が失敗してしまいました。


ACCORD試験といえば血糖強化治療アームが昨年、中断されて大きな衝撃を与えました。fenofibrateと偽薬を比較するHDL-C強化治療アームは続行中で、予定通り来年に結果が出る見込みです。どのような結果になるのでしょうか。








2009年2月21日土曜日

批判者不在のFDA諮問委員会

2月3日にアメリカのFDA諮問委員会で、第一三共がイーライリリーと提携して開発したprasugrelの承認の適否が検討されました。承認申請から1年以上経ち、FDAの審査期限も4ヵ月超過していたので何があったのか訝れましたが、FDAの中で意見がまとまらなかったことが理由のようです。諮問委員は全員が承認に賛成しました。ところが、スキャンダルめいた話が出ています。

PrasugrelはTRITON TIMI-38試験に基づいて承認申請されたのですが、この試験の二次的評価項目の解析を批判していた委員が、直前になって招致取消しになったのです。FDAはその前にイーライリリーから照会を受けたようですが、FDA側は取消しとの関係を否定しています。

諮問委員会は裁判の陪審と同様に、利害関係のない委員が予断を持たずに参加して、協議の上で結論を出します。この利害関係は、主として資金的なつながり(例えばイーライリリーやprasugrelと類似した薬を販売している会社から巨額の補助金を受けているなど)が問題になりますが、intelectual bias、つまり、委員会の議題について事前に明確な結論を持っている場合も、利害相反とみなされるようです。

FDA側の説明は歯切れが悪く、intelectual biasの疑いが生じたのが委員会の直前だったために十分な検討をする時間がなく取りあえず招致を見送ったのであって、intelectual biasを認めたわけではない、と言っているようです。

それにしても、FDAのこのところの動きはパッとしないですね。何をするにも遅く、人員不足で工程をこなせなかったり、係官の間で意見が対立して結論が出せなかったりしているようです。乾癬の薬で深刻な副作用懸念が発生し、FDAはメーカー側に対策を講じるよう要請したのですが、4ヵ月経った今でも何も出来上っていません。そうこうするうちに、ヨーロッパでは、諮問委員会から承認停止の勧告が出ました。新薬の承認が遅れるならまだしも、安全性問題に機敏に対処できないようでは困ります。

ところで、この招致されなかった委員、つまり、Cedars-Sinai Medical CenterのSanjay Kaul博士はどのような見解を持っているのでしょうか。以下、見てみましょう。




TRITON TIMI-38試験の概要と論点


TRITON TIMI-38試験は、宇部興産が創製し第一三共がイーライリリーと共同で開発した抗血小板薬、prasugrelの第三相試験です。心筋梗塞・不安定狭心症でPCIを受ける患者13608人をprasurel群とclopidogrel(標準療法)群に無作為化割付して、メジアン14.5ヵ月治療しました。主評価項目は心血管死(CV死)、非致死的心筋梗塞(MI)、非致死的脳卒中(CVA)の何れかが発生するまでの期間です(time to event analysis)。欧米アジアなどで実施されました。

Prasugrel群の主評価項目発生率は9.9%、clopidogrel群は12.1%で、ハザードレシオは0.81(95%CI 0.73-0.90)、p値は0.001未満となりました。心筋梗塞などを防ぐ効果が有意に高いことになります。CV死や全死亡では有意差は出ませんでしたが、非致死的MIのハザードレシオが0.76と有意に優れていました。

Prasugrelは血小板凝集阻害力が高く、また、clopidogrelと同様なプロドラッグですが体内の代謝プロセスが複雑ではないため、代謝酵素の多型に影響されにくく、活性化までの時間も短いという長所があります。TRITON TIMI-38試験は素質が高いだけでなく即戦力としての能力も優れることを明らかにしました。

効果が高い抗血小板薬は、出血リスクも高くなります。TRITON試験では大出血(2.4%対1.8%)、非致死的出血(1.1%対0.9%)、致死的出血(0.4%対0.1%)の何れの項目でも有意に上回りました。ネットクリニカルベネフィット(主評価項目の差から出血リスクの差を差し引いたもの)はプラスなので、prasugrelが良い薬であることには間違いありませんが、1000人に投与すると3人が副作用で死亡するというのは気分の良いものではありません何とかできないものでしょうか

この治験を主導した血栓学の共同治験グループ、TIMIの回答は、脳卒中・TIA経験者や75歳以上、60kg未満の患者を除外すれば出血リスクは大差ない、というものでした。しかし、詳細なデータが公表されていないために、多くの異論も出ました。

心筋梗塞はPCI前後に発生することが多いのですが、この試験のように無症候性の心筋梗塞もカウントする場合は特にそうなります。一方、出血リスクは治療期間中、ずっと続きます。ですから、高リスクの時期を過ぎたら用量を減らすような工夫をしても良いのかもしれません。

また、どういう訳か、この試験ではprasugurel群の癌や癌による死亡の発生率が高かったのです。症例が少ないので本当にリスクがあるのかどうか、分かりません。

FDAの審査官は出血や癌を懸念して、prasugrelの治療期間を1週間に限定した上で、上司に承認を推奨しました。しかし、上司は納得しなかったようです。再審査の結果、治療期間が4週間に延びましたが、上司は納得せず、諮問委員会の意見を聞くことを決めたようです。

諮問委員会ではこの上司だけがプレゼンテーションを行い、癌問題について楽観的な意見を述べました。諮問委員は癌の懸念はないと結論しました。出血リスクに関する対処も、TIMIの意見を支持しました。


Kaul博士の分析


Kaul博士は心血管分野の臨床試験の解析について、積極的に意見を述べています。TRITON試験に関しては08年のAHA科学部会で3本の発表を行いました。


ポスター#4014 ベネフィットがリスクを上回るのは最初の30日間だけ


  • TRITON-TIMI 38試験はメジアン14ヵ月実施されたが、最初の30日間とその後の期間ではリスクとベネフィットのバランスが異なる。

  • 最初の30日間は心血管死・心筋梗塞・脳卒中のハザードレシオが0.77で統計的に有意。CABG関連以外の大出血イベントのハザードレシオは1.19だが有意ではない。リスク修正後NNTは70。

  • 一方、その後の期間は各0.87(p=0.089)、1.48(p=0.028)、227となり、ベネフィットが不鮮明な一方でリスクは顕著に高まる。

  • 心血管死・心筋梗塞・脳卒中イベント発生率の群間差(2.2ポイント)のうち、4分の3近く(1.7ポイント)は最初の30日間に生じている。

  • リスクとベネフィットを最適化するためには、prasugrelを最初の30日間に留めて、その後は効果の弱いclopidogrelのような薬にスイッチする手法などが考えられる。

割付から30日目まで31日から完了まで
PrasClopPrasClop
CV死、MI、卒中5.7%7.4%5.3%4.5%
HR(95% CI)0.77 (0.68-0.88)0.87(0.74-1.02)
p値0.00010.089
大出血1.03%0.87%1.42%0.97%
HR(95% CI)1.19(0.83-1.70)1.48(1.04-2.10)
p値0.340.028
修正NNT70227

Praはprasugrel、Clopはclopidogrel、NNTは一人を当該イベントから救うために何人に投与したらよいかを示す治療効率性の指標(発生率の絶対差で100を割ったもの)

#4015 複合評価項目の有効性を検証


  • 複合評価項目の構成内容が妥当であるためには、個々の項目が臨床的に同程度の重要性を持っていること、同程度の頻度で発生すること、治療に同程度に反応することが必要。

  • TRITON試験の二次的評価項目であるネット・クリニカル・ベネフィットの構成項目を検証したところ、発生頻度や治療効果に有意な偏りがあった。イベント数の半分、治療効果の殆んどを非致死的心筋梗塞が占めた。

  • Prasugrelのベネフィットは非致死的心筋梗塞という、最重要ではないイベントに偏っている。心筋梗塞イベントの内容に関する情報が欠けているため、十分なベネフィット・リスク評価を行なうことができない。(注:FDAの資料によると、群間の差は殆どが心電図などに基づいて診断されたサイレントMIとのことです)。


#4016 ベイズ法で解析するとリスクのほうが大きい


  • 治療効果やリスクの大きさを定量的に評価するため、ベイズ法を用いてTRITON試験の解析を行なった。

  • TRITONは臨床的に重要な最低限の差である20%の群間差を検出するために実施されたが、差(d)が20%超である事後確率(posterior probability)は40%に過ぎない。Pr(d>20%)=0.4。一方、大出血リスクの差が20%超である事後確率は65%を超える。Pr(d>20%)=0.651。ネット・クリニカル・ベネフィットで臨床的に重要な差がある事後確率は4.5%に過ぎない。

  • 治療ガイドラインで推奨したり、治療方法を決定する時には、統計的に顕著であることと臨床的に重要であることの違いを認識すべきである。

伝統的解析ベイズ解析
リスク倍率
(95% CI)
P値Pr
(d>0%)
Pr
(d>10%)
Pr
(d>20%)
全死亡
/MI/CVA
0.81
(0.73-0.90)
<0.00110.9750.403
CV死
/MI/CVA
0.83
(0.75-0.92)
<0.00110.9380.235
大出血1.32
(1.03-1.68)
0.030.9850.9110.651
大小出血1.31
(1.11-1.56)
0.0020.9990.9670.7
ネットクリニカルベネフィット:
全死亡
/MI/CVA
/大出血
0.87
(0.79-0.95)
0.0040.9980.7910.045
全死亡
/MI/CVA
/大小出血
0.91
(0.83-0.99)
0.0320.9840.3990.003


こうしてみると、Kaul博士の考え方はFDA審査官と似ています。諮問委員会で審査官の意見を支持したかもしれない委員が、直前になって招致されなかったことは、不自然な感じがしますね。






2009年2月17日火曜日

clopidogrelとPPIの併用試験が中止に

clopidogrelとプロトンポンプ阻害剤の相互作用リスクを知る上で重要な試験が打ち切りになってしまいました。


昨年のAHA学会でこの問題に関する様々な抄録が発表されましたが、ACC/ACG/AHAは共同声明を出し、これらの研究は十分なエビデンスとは言えないこと、患者は医師の指示を受けずに服用を止めるべきではないこと、そして、COGENT-1試験(NIHの治験レジストリー)の結果が出ればある程度の答えを得ることができることを強調しました。この三組織が昨年10月に発表した、clopidogrelやアスピリンによる消化器官副作用対策に関するエキスパート・コンセンサス・ドキュメントでもCOGENT-1試験に期待を示しています。


COGENT-1試験はCogentus Pharmaceuticalsという会社が開発したclopidogrelとomeprazoleのコンビネーション・ドラッグの消化器官潰瘍・出血防止効果をclopidogrelと比較した、5000人48週間の大規模試験です。副次的評価項目の一つとして心筋梗塞などのリスクも比較しました。おそらくこの評価項目は検出力不足でしょうが、それでも、ある程度の目安にはなるでしょう。しかし、この試験は中止されたようです。


Cogentusは株式市場に上場していないので、ベンチャー・キャピタリストから資金を得て2007年12月に治験を開始しました。しかし、治験を請け負ったParexel Internationalは昨年12月に参加施設に中止を通知しました。原因は、昨年来の金融市場混乱で、ベンチャー・キャピタルの一社がCogentusに資金を提供できなくなったことのようです。結局、Cogentusは今年1月に裁判所に破産法の適用を申請しました。チャプター7なので、チャプター11とは異なり、会社は存続せず清算されることになります。Parexelも数千万ドルの貸倒が生じているようです。


FDAは1月26日に声明を出して、代謝酵素の多型やプロトンポンプ阻害剤がclopidogrelの効果にどう影響するか、調査を行っていることを公表しました。タイミングから考えると、COGENT-1試験が打ち切りになったために新たな対応を打ち出さざるを得なくなったのでしょう。


clopidogrelはCURRENT/OASIS7という高用量試験が実施され、今年中に結果が発表される見込みです。負荷用量と最初の7日間の維持用量を標準療法の倍に当る600mgと150mgに増やす手法を標準療法と比べたものですが、prasugrelのTRITON試験と同様に、代謝酵素多型や同時使用薬との関連を調べることは可能でしょう。


clopidogrelの薬物相互作用は、数年前にatorvastatinとの関係が疑われたことがありましたが、過去の試験の後ろ向き分析の結果が発表され、沈静化しました。冷静に考えれば、clopidogrelを投与しても大半の患者は結果的に何のメリットも受けません。服用しても心筋梗塞を起こす人や、服用しなくても起こさない人が殆どなのですから、ex vivoの血小板凝集阻害試験だけで判断せずに、心血管イベントが本当に増えるのか大規模な前向き試験で確認する必要があります。疫学研究も患者背景の偏りを排除することは不可能なので、あまり当てになりません。


COGENT-1試験の中止は残念ですが、まだ希望は残っています。








2009年2月15日日曜日

NICEな薬価抑制策

Avastinなど最近の抗癌剤は高価なものが多いです。New Englnad Journal of MedicineのP. Bachの論文にグラフが出ていますが、月間薬剤費が3000ドルを超えるものが増え、2万ドルを超えるものもあります。15年前は2500ドルを超えるのはpaclitaxelだけでした。患者数の少ない癌ならともかく、乳癌や結腸直腸癌、肺癌に用いる薬の場合は医療予算に与える影響が馬鹿になりません。抗癌剤だけでなく、関節リウマチの抗体医薬など何年、何十年投与する薬でも、年1万ドルを超えるものが登場してきています。良い薬が次々と発売されるのはうれしいことですが、薬価の高騰は何とかできないものでしょうか。


薬剤費抑制に辣腕を振るっているのがイギリスのNICEです。Avastinなど多くの抗癌剤が否定的な評価を受けました。対策として、値引きに応じる製薬会社が増加しています。他の国でもNICEに注目していて、ドイツは同様な機関を設置しましたし、アメリカもオバマ大統領が政権構想の中で医療技術評価機関の設立を提唱しています。将来は日本にもできるかもしれません。そこで、今回は、NICEのこれまでの成果を振り返って見ましょう。



NHSとNICEの役割


最初に、イギリスの医療制度とNICEの役割について説明しておきましょう。イギリスは第二次世界大戦後に国民医療制度NHSを作りました。医療保険と一次医療サービス、二次医療サービスを包含する巨大組織で、私が子供の頃読んだ貧乏旅行の本には、ヨーロッパで病気になったらイギリスに行けと書いてあったほど、充実していました。しかし、ご他聞に漏れず、財政が悪化したため、サッチャー改革の一環でNHSもスリム化が図られました。医療制度改革の中で誕生したのがNational Institute for Health and Clinical Excellence、略してNICEです。


NHSの特徴は組織や意思決定が地域ごとに細分化されていることです。私がロンドンに家を借りて真っ先にやったのが、その地域の住民を担当するGP(General Practice)というお医者さんに届出・面談することでした。日本で言えば町単位で、かかりつけ医が決まっているのです。GPは生活改善指導を行ったり、必要な治療を行いますが、ここで重要な役割を果たすのが当該地域の執行組織が決める医療方針です。


この方式は、地域の実情に合わせたきめ細かな対応が長所ですが、町が違うだけで方針が違うというのも変な感じです。患者は、嫌だったら引っ越すか、プライベートと呼ばれる高価な医療を受けるしかありません。


このような問題の解決策として生まれたのがNICEです。新しい医療技術や、意見が分かれる薬などについて、専門家が保険還元の是非を検討します。NICEの推奨は義務付けではなく、最終的には地域の執行組織が判断することに変わりはないのですが、次第に影響を強めています。


NICEの特徴は、限られた医療予算の有効活用という見地から、費用対効果を加味した上で推奨を決めることです。抗癌剤と血圧降下剤を同列に扱うことができるのです。


イギリスの医療保険は、承認された薬は原則として還付の対象にするというポジティブ・リスト方式を採用しています。また、薬価は個別の薬ではなく、製薬会社毎に利益率が所定水準に収まるよう規制しています。これらの方式は、製薬会社が薬価収載を待たずに発売できるという長所がありますが、価格決定が製薬会社だけに委ねられるという弱点もあります。NICEは、事実上、この弱点を補う機能も果たしているのです。


どこの国も医療予算は不足しているので、医療に優先順位を付ける必要があります。しかし、病人の立場からは、医療が拒否されるのは良いことではありません。NICEはEBMの手法を採用していますが、エビデンスが十分ではない分野もありますので、医療従事者にとっても納得できないことがあるでしょう。このため、NICEの歴史は、NICE批判の歴史でもあります。アルツハイマー病薬では、製薬会社が患者団体の意を受けてNICEの判断を裁判所に提訴したこともあります。この件では私もNICEの判断はおかしいと思います。医療経済学的な効用が明確なのは中度患者に投与する時だけなので、軽度の患者には保険還元をするべきではないという判断なのですが、アルツハイマー病のような不可逆的な病気で悪化するまで放置するのは本当に良いことなのでしょうか?残念ながら、裁判所はNICEを支持しました。Ariceptの特許が切れて安価なジェネリック品が発売されれば、費用対効果が変わるので、イギリスの軽度アルツハイマー病患者も薬を使えるようになるでしょう。ほかの国の人たちと比べて、医療技術の進歩を享受するのに10年以上待たなければならないことになります。


こうなると、次の期待は、メーカーが値下げに応じることです。以下のように、方法は区々ですが、値引きに応じることでNICEの推奨を獲得する事例が増えています。



値引きの実例



再発寛解型多発性硬化症の維持療法薬


  • 02年5月にリスク・シェアリング方式という名前で導入

  • 対象:Avonex (Biogen)、 Betaferon (Schering)、Copaxone (Teva/Aventis)、Rebif (Serono)

  • 標準的年間価格:Avonex:8,502ポンド、Betaferon:7,259ポンド、Copaxone:5,823ポンド、Rebif:低用量で7,513ポンド、高用量は8,942ポンド

  • 価格調整方式:EDSS病状診断スコアに基づいて病気の進行状況を年一回モニターし、治療成果が期待水準に達しない場合は、所定の方法に基づいて価格を調節する

  • 推定患者数7500-900人のうち、5200人が参加した




多発骨髄腫二次治療薬(Velcade)

  • 07年にレスポンス・リベート方式という呼称で導入

  • 対象:Velcade(bortezomib)ヤンセン

  • 標準的価格:サイクル当り3000ポンド

  • 価格調整方式:最大4サイクル投与した後で血清M蛋白値に基いて治療成果を判定。50%以上低下した場合は治療を続行するが、それ以下だった場合はメーカーが薬剤費を払い戻す。尚、M蛋白値を測定できない場合は病状などに基づいて判定。モデルケースでは、NHSの薬剤費負担が2-3割低下。



多発骨髄腫三次治療薬(Revlimid)

  • 草案発表段階

  • 対象:Revlimid(lenalidomide)セルジーン

  • 標準的価格:1サイクル(25mgカプセルを21日間服用)で4368ポンド

  • 価格調整方式:治療が奏効し投薬が長期化するとメーカー負担が高まる。具体的には、最初の2年間(28日が1サイクルで26サイクル)はNHSが薬剤費を負担、それ以降はメーカーが負担。モデルケースでは該当するのは患者の17%で、NHSの費用が59800ポンドから51800ポンドに低下。前治療でthalidomideを使用済みの患者は効果が低下するため、該当者は11%、費用は49800ポンドから46300ポンドに低下。



加齢性黄斑変性

  • 08年8月に発表

  • 対象:Lucentis(ranibizumab)ノバルティス、Macugen(pegaptanib)ファイザー

  • 価格:Lucentisは2年間に14回投与すると10700ポンド、24回だと18300ポンド、Macugenは2年間18回で9300ポンド

  • 推奨:Lucentisを推奨。投与回数が一つの眼球当り14回を超えたら、それ以降の注射はメーカーが負担。Macugenは効果が弱いため推奨せず。



非小細胞性肺癌二次治療

  • 08年11月に発表

  • 対象;Tarceva(erlotinib)ロシュ

  • 標準的価格:30日分が1631ポンド、一人当たり125日間投与として6800ポンド

  • 推奨:メーカーが価格を下げることを前提に推奨。docetaxelの代替的な選択肢なので、治療や有害事象の対処などを含めた総費用をdocetaxel並みに抑える。1割程度の値引きを意味する。



転移性・末期腎細胞腫

  • 草案発表段階

  • 対象と標準的価格は、

  • Sutent(sunitinib)ファイザー:6週間分が3139ポンド、但し最初の6週間分はメーカーが無償で提供

  • Nexavar(sorafenib)バイエル:毎日服用、8週間分が2980ポンド、但し最初の8週間分はメーカーが無償で提供

  • Avastin(bevacizumab)ロシュ:6週間分が最初は5982ポンド、それ以降のサイクルは6117ポンド

  • Torisel(temsirolimus)ワイス:不明

  • 推奨:一次治療はSutentだけを推奨。二次治療はSutent含め全て推奨せず。




このように、最初はマネーバック・ギャランティー(満足行かないお客様には御代を返金いたします)的な色彩が強かったのですが、近年はお試しコース(最初のうちだけ無料)や使い放題コース(薬剤費に上限あり)など、まるでインターネット接続サービスの集客手段のように、何でもありになっています。欧州は国が密集しているので、一つの国で値引きをすると他の国での価格交渉にも響きます。実際にはフランスのほうが薬価交渉が厳しいのですが、水面下で行われるので国民や他の国の国民の目を惹くことはありません。NICEは判断や根拠を明示するので、結果的に、国民的な議論を呼び、コンセンサス形成にも寄与します。NICEが活躍すればするほど、薬価に対する国民の評価が明確になっていくのです。イギリスで世論が形成されれば、他の国にも広がっていくでしょう。日本版NICEの創設は遠い未来の話ではなさそうです。







2009年2月11日水曜日

prasugrelと2C19多型

昨年12月に、Plavix(clopidogrel)は2C19酵素の機能が弱い人には効きにくい、という話を書きました。この試験は第一三共とイーライリリーがアメリカで承認申請したprasugrelとclopidogrelを比較したものですが、論文が刊行されたNew England Journal of Medicine誌にはprasugrelのデータが記されていませんでした。諮問委員会資料に出ていたので補足しておきます。


関連記事:Clopidogrelの2C19問題

prasugrelは2C19多型の影響を受けないようです。論文著者がprasugrelに言及しなかったのは、多型スタディの対象となったサブポピュレーションのclopidogrel群のイベント発生率が全clopidogrel群の発生率よりかなり低かったため、群間比較に適さないと判断したようです。

2C19多型サブスタディ

prasugrelclopidogrel
解析対象:
TRITON治験全体68136795
2C19多型サブスタディ14551459
うち、機能低下多型キャリア(%)28.027.1
       ノンキャリア(%)72.072.9
主評価項目発生率(%):
治験全体9.912.1
サブスタディ9.49.3
うち、機能低下多型キャリア(A)8.512.1
       ノンキャリア(B)9.88.0
Cox比例HR(A対B)0.891.53
95%CI0.60-1.311.07-2.19


注:主評価項目は心血管死、非致死的心筋梗塞、または非致死的卒中。発生率は15ヵ月間のカプラン・メイヤー推定。HRはハザードレシオ。

出所:Cardiovascular and Renal Drugs Advisory Committee Briefing Document, Eli Lilly


この表のように、clopidogrel群に関しては2C19機能低下多型のキャリアはノンキャリアよりも心血管死・非致死的心筋梗塞・非致死的卒中のリスクが有意に高かったのですが、prasugrel群では有意差はありませんでした。clopidogrelは体内で複数のプロセスを経て活性化されます。prasugrelもプロドラッグですが、プロセス数が少なく、2C19が機能しない患者でも他の酵素で活性化されます。これまでに実施された薬物動態試験でも、ex vivoの血小板凝集阻害試験でも、2C19機能低下多型の影響を受けませんでした。TRITON試験のサブスタディで、臨床的にも影響されないことが確認されました。

prasugrelの弱点は、H2ブロッカーやプロトンポンプ阻害剤を服用している胃内pH値が高い患者で、吸収が悪化・遅延することですが、TRITON試験では服用の有無に関わらずclopidogrelより効果が優れていました。TRITON試験はこの薬の薬物動態的な長所が改めて発揮された、と言えるでしょう。

ところで、冒頭に書きましたように、サブスタディ全体の主評価項目発生率はclopidogrel群もprasugrel群も大差ありませんでした。NEJM論文の付属資料にclopidogrel群の患者背景が出ていますが、サブスタディは東欧の施設で組み入れられた患者が64%と、TRITON試験全体の25%と比べてかなり多くなっています。他の点では大差ないので、この違いが何か影響したのかもしれません。両群を見比べると、キャリアはprasugrelのほうが良く、ノンキャリアはclopidogrelのほうが良い、ということになりますが、このような解釈で正しいのかどうかは良く分かりません。

clopidogrelは2C19多型の影響を受けるがprasugrelは大丈夫、という大変重要なデータなのですが、このデータではprasugrelのほうが効果が高そうには見えないので、宣伝には使いにくいのでしょう。偶々、諮問委員会の資料で見つけることができなかったら、prasugrelのデータを知る機会は永遠になかったかもしれません。






Valsartanは名古屋では引き分けに

次は、同じくACCのLate-breakerで発表されたNagoya Heart Study(NHS)です。試験の内容や結果は納得できるものですが、分からないのは、Kyoto Heart StudyやJikei Heart Studyとの関係です。この二本の試験ではvalsart...