2009年2月15日日曜日

NICEな薬価抑制策

Avastinなど最近の抗癌剤は高価なものが多いです。New Englnad Journal of MedicineのP. Bachの論文にグラフが出ていますが、月間薬剤費が3000ドルを超えるものが増え、2万ドルを超えるものもあります。15年前は2500ドルを超えるのはpaclitaxelだけでした。患者数の少ない癌ならともかく、乳癌や結腸直腸癌、肺癌に用いる薬の場合は医療予算に与える影響が馬鹿になりません。抗癌剤だけでなく、関節リウマチの抗体医薬など何年、何十年投与する薬でも、年1万ドルを超えるものが登場してきています。良い薬が次々と発売されるのはうれしいことですが、薬価の高騰は何とかできないものでしょうか。


薬剤費抑制に辣腕を振るっているのがイギリスのNICEです。Avastinなど多くの抗癌剤が否定的な評価を受けました。対策として、値引きに応じる製薬会社が増加しています。他の国でもNICEに注目していて、ドイツは同様な機関を設置しましたし、アメリカもオバマ大統領が政権構想の中で医療技術評価機関の設立を提唱しています。将来は日本にもできるかもしれません。そこで、今回は、NICEのこれまでの成果を振り返って見ましょう。



NHSとNICEの役割


最初に、イギリスの医療制度とNICEの役割について説明しておきましょう。イギリスは第二次世界大戦後に国民医療制度NHSを作りました。医療保険と一次医療サービス、二次医療サービスを包含する巨大組織で、私が子供の頃読んだ貧乏旅行の本には、ヨーロッパで病気になったらイギリスに行けと書いてあったほど、充実していました。しかし、ご他聞に漏れず、財政が悪化したため、サッチャー改革の一環でNHSもスリム化が図られました。医療制度改革の中で誕生したのがNational Institute for Health and Clinical Excellence、略してNICEです。


NHSの特徴は組織や意思決定が地域ごとに細分化されていることです。私がロンドンに家を借りて真っ先にやったのが、その地域の住民を担当するGP(General Practice)というお医者さんに届出・面談することでした。日本で言えば町単位で、かかりつけ医が決まっているのです。GPは生活改善指導を行ったり、必要な治療を行いますが、ここで重要な役割を果たすのが当該地域の執行組織が決める医療方針です。


この方式は、地域の実情に合わせたきめ細かな対応が長所ですが、町が違うだけで方針が違うというのも変な感じです。患者は、嫌だったら引っ越すか、プライベートと呼ばれる高価な医療を受けるしかありません。


このような問題の解決策として生まれたのがNICEです。新しい医療技術や、意見が分かれる薬などについて、専門家が保険還元の是非を検討します。NICEの推奨は義務付けではなく、最終的には地域の執行組織が判断することに変わりはないのですが、次第に影響を強めています。


NICEの特徴は、限られた医療予算の有効活用という見地から、費用対効果を加味した上で推奨を決めることです。抗癌剤と血圧降下剤を同列に扱うことができるのです。


イギリスの医療保険は、承認された薬は原則として還付の対象にするというポジティブ・リスト方式を採用しています。また、薬価は個別の薬ではなく、製薬会社毎に利益率が所定水準に収まるよう規制しています。これらの方式は、製薬会社が薬価収載を待たずに発売できるという長所がありますが、価格決定が製薬会社だけに委ねられるという弱点もあります。NICEは、事実上、この弱点を補う機能も果たしているのです。


どこの国も医療予算は不足しているので、医療に優先順位を付ける必要があります。しかし、病人の立場からは、医療が拒否されるのは良いことではありません。NICEはEBMの手法を採用していますが、エビデンスが十分ではない分野もありますので、医療従事者にとっても納得できないことがあるでしょう。このため、NICEの歴史は、NICE批判の歴史でもあります。アルツハイマー病薬では、製薬会社が患者団体の意を受けてNICEの判断を裁判所に提訴したこともあります。この件では私もNICEの判断はおかしいと思います。医療経済学的な効用が明確なのは中度患者に投与する時だけなので、軽度の患者には保険還元をするべきではないという判断なのですが、アルツハイマー病のような不可逆的な病気で悪化するまで放置するのは本当に良いことなのでしょうか?残念ながら、裁判所はNICEを支持しました。Ariceptの特許が切れて安価なジェネリック品が発売されれば、費用対効果が変わるので、イギリスの軽度アルツハイマー病患者も薬を使えるようになるでしょう。ほかの国の人たちと比べて、医療技術の進歩を享受するのに10年以上待たなければならないことになります。


こうなると、次の期待は、メーカーが値下げに応じることです。以下のように、方法は区々ですが、値引きに応じることでNICEの推奨を獲得する事例が増えています。



値引きの実例



再発寛解型多発性硬化症の維持療法薬


  • 02年5月にリスク・シェアリング方式という名前で導入

  • 対象:Avonex (Biogen)、 Betaferon (Schering)、Copaxone (Teva/Aventis)、Rebif (Serono)

  • 標準的年間価格:Avonex:8,502ポンド、Betaferon:7,259ポンド、Copaxone:5,823ポンド、Rebif:低用量で7,513ポンド、高用量は8,942ポンド

  • 価格調整方式:EDSS病状診断スコアに基づいて病気の進行状況を年一回モニターし、治療成果が期待水準に達しない場合は、所定の方法に基づいて価格を調節する

  • 推定患者数7500-900人のうち、5200人が参加した




多発骨髄腫二次治療薬(Velcade)

  • 07年にレスポンス・リベート方式という呼称で導入

  • 対象:Velcade(bortezomib)ヤンセン

  • 標準的価格:サイクル当り3000ポンド

  • 価格調整方式:最大4サイクル投与した後で血清M蛋白値に基いて治療成果を判定。50%以上低下した場合は治療を続行するが、それ以下だった場合はメーカーが薬剤費を払い戻す。尚、M蛋白値を測定できない場合は病状などに基づいて判定。モデルケースでは、NHSの薬剤費負担が2-3割低下。



多発骨髄腫三次治療薬(Revlimid)

  • 草案発表段階

  • 対象:Revlimid(lenalidomide)セルジーン

  • 標準的価格:1サイクル(25mgカプセルを21日間服用)で4368ポンド

  • 価格調整方式:治療が奏効し投薬が長期化するとメーカー負担が高まる。具体的には、最初の2年間(28日が1サイクルで26サイクル)はNHSが薬剤費を負担、それ以降はメーカーが負担。モデルケースでは該当するのは患者の17%で、NHSの費用が59800ポンドから51800ポンドに低下。前治療でthalidomideを使用済みの患者は効果が低下するため、該当者は11%、費用は49800ポンドから46300ポンドに低下。



加齢性黄斑変性

  • 08年8月に発表

  • 対象:Lucentis(ranibizumab)ノバルティス、Macugen(pegaptanib)ファイザー

  • 価格:Lucentisは2年間に14回投与すると10700ポンド、24回だと18300ポンド、Macugenは2年間18回で9300ポンド

  • 推奨:Lucentisを推奨。投与回数が一つの眼球当り14回を超えたら、それ以降の注射はメーカーが負担。Macugenは効果が弱いため推奨せず。



非小細胞性肺癌二次治療

  • 08年11月に発表

  • 対象;Tarceva(erlotinib)ロシュ

  • 標準的価格:30日分が1631ポンド、一人当たり125日間投与として6800ポンド

  • 推奨:メーカーが価格を下げることを前提に推奨。docetaxelの代替的な選択肢なので、治療や有害事象の対処などを含めた総費用をdocetaxel並みに抑える。1割程度の値引きを意味する。



転移性・末期腎細胞腫

  • 草案発表段階

  • 対象と標準的価格は、

  • Sutent(sunitinib)ファイザー:6週間分が3139ポンド、但し最初の6週間分はメーカーが無償で提供

  • Nexavar(sorafenib)バイエル:毎日服用、8週間分が2980ポンド、但し最初の8週間分はメーカーが無償で提供

  • Avastin(bevacizumab)ロシュ:6週間分が最初は5982ポンド、それ以降のサイクルは6117ポンド

  • Torisel(temsirolimus)ワイス:不明

  • 推奨:一次治療はSutentだけを推奨。二次治療はSutent含め全て推奨せず。




このように、最初はマネーバック・ギャランティー(満足行かないお客様には御代を返金いたします)的な色彩が強かったのですが、近年はお試しコース(最初のうちだけ無料)や使い放題コース(薬剤費に上限あり)など、まるでインターネット接続サービスの集客手段のように、何でもありになっています。欧州は国が密集しているので、一つの国で値引きをすると他の国での価格交渉にも響きます。実際にはフランスのほうが薬価交渉が厳しいのですが、水面下で行われるので国民や他の国の国民の目を惹くことはありません。NICEは判断や根拠を明示するので、結果的に、国民的な議論を呼び、コンセンサス形成にも寄与します。NICEが活躍すればするほど、薬価に対する国民の評価が明確になっていくのです。イギリスで世論が形成されれば、他の国にも広がっていくでしょう。日本版NICEの創設は遠い未来の話ではなさそうです。







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