torcetrapibはCETP阻害剤という新しいタイプのコレステロール管理薬で、LDL-Cという悪玉コレステロールを削減するだけでなく、HDL-Cという善玉コレステロールを大幅に増やすことができます。LDL-Cはスタチンの方が効果が高いですが、HDL-Cはこれまでは2~3割増やすのがせいぜいで、7割も増やすことができる薬はtorcetrapibが初めてでした。HDL-Cの作用については良く分からない点も大きいのですが、大きな治療効果を持つ薬が実用化されれば、臨床研究が加速します。HDL-Cの科学を切り開く先鋒役として大きな期待を受けていました。
この薬を開発していたファイザーにとっても重要でした。年商が史上初めて100億ドルを越えた超大型薬、atorvastatinの特許が2010~11年に失効するからです。これだけの大型薬の穴を埋めるには市場ポテンシャルが極めて大きい新薬を投入しなければなりません。torcetrapibは数少ないチャンスでした。8億ドルという巨額の予算を投じて複数のフェーズⅢ試験を実施していたのですが、最も重要な大規模長期アウトカム試験、ILLUMINATE試験の中間安全性解析で有害性が発覚し、07年に開発が中止されました。
毒性の原因ははっきりしていません。一番疑わしいのは血圧上昇作用ですが、本当ならば、LDL-C低下作用やHDL-C増加作用で補って十分お釣りがくるはずでした。その後、アテローム抑制作用を調べたIVUS試験やCIMT試験の結果が明らかになりましたが、全く効果がありませんでした。このため、様々な疑問が浮上しました。CETPを阻害してHDL-Cを増やしても心血管リスクを削減できないのでは?そもそも、HDL-Cを増やしても無駄なのでは?といった疑問です。
ファイザーは異なった化学構造を持つCETP阻害剤も開発しています。メルクやロシュ(日本たばこから導入)は既にフェーズⅡ試験を完了して、フェーズⅢの是非を検討している段階です。これらのコンパウンドには血圧上昇リスクは見られない模様ですので、torcetrapibの毒性の原因が血圧上昇なら、期待できることになります。水面下で研究開発している企業にとっても重要な関心事でしょう。それだけに、ILLUMINATE試験の詳細解析結果の発表が待望されていました。
ILLUSTRATE試験のハイライト
- 冠動脈疾患を持つ患者や二型糖尿病患者にatorvastatinを投与してコレステロール管理を行ったうえで、約15,000人を偽薬群とtorcetrapib(60mgを一日一回経口投与)群に無作為化割付し、二重盲検試験を実施。観察期間は4.5年間の予定だったが、途中で打ち切られたのでメジアン1.5年間に留まった。
- torcetrapib群は12ヶ月間でHDL-Cが72%上昇(偽薬群は2%上昇)、LDL-Cが25%低下(同3%上昇)したが、最大血圧は5.4mm Hg上昇した(同0.9mm Hg上昇)。
- 事前の仮説ではtorcetrapib群は心血管リスクが2割低いと推定されていたが、実際には、中間解析でハザードレシオが1.25倍となり、むしろ有害だった(統計的に有意)。死亡リスクも1.58倍と有意に高かった。
- 事後的分析では、血圧上昇がメジアン値より大きかった患者と小さかった患者の死亡リスクには大きな差が無かった。一方、血漿カリウム値の低下や血漿重炭酸値の増加がメジアン値より大きかった患者の死亡リスクは高かった。
血圧上昇だけが悪い?
この分析では、血圧上昇と死亡リスクの間に相関性は見られませんでしたが、分析方法が適当ではなかったのかもしれません。torcetrapibは一部の患者で15mm Hg以上上昇することがありますが、このような患者の死亡リスクがどうだったのか知りたいところです。論文著者もこの分析には納得していないようで、血圧上昇が原因である可能性を否定していません。AHA科学部会ではメルクの動物試験結果も発表されました。torcetrapibはアルドステロン増加を通じて血圧を上げるというもので、ILLUSTRATE試験で見られた血漿カリウム値・重炭酸値の変動と合致しています。このため、血圧犯人説が有力になっているようです。
しかし、ILLUSTRATE試験の結果は血圧だけでは説明できないでしょう。過去のアウトカム試験で観察された、LDL-CやHDL-C、血圧と心血管リスクの相関関係を今回のデータに当てはめると、LDL-C低下でリスクが0.78倍に低下し、血圧上昇で1.25倍に上昇し、HDL-C増加で0.25倍に低下するので、ネットで0.24倍に低下する計算になります。HDL-Cに関するエビデンスは信頼性が十分ではなく、また、torcetrapibにあてはまるかどうかも怪しいです。しかし、少なくとも血圧上昇の効果はLDL-C低下でオフセットできるはずです。HDL-C増加の好影響が残るはずなのに、実際には逆でした。
CETP阻害剤の作用は、HDL-C中のコレステロール・エステルがCETPという輸送体によってLDL-CやVLDL-Cに移送されるのを防ぐことです。コレステロール・エステルが減少するとHDL-Cが分解されやすくなるので、CETP阻害剤はHDL-Cを長持ちさせる効果があります。HDL-Cは体の組織から余ったコレステロールを回収するので、長持ちすれば、アテローム硬化のような血管壁内部にコレステロールが溜まる病気の治療には有益なはずです。
しかし、CETP阻害剤によるHDL-Cの延命がどの程度有益なのかは良く分かりません。ゴミ回収車の例で考えて見ましょう。輸送能力を増強するには、台数を増やす(HDL-Cの新規生成を促進する)方法と作業時間を延ばす方法がありますが、効果は後者のほうが小さいでしょう。作業員が疲れて能率が落ちるかもしれませんし、一台の車に積める量は限られているのですから、満杯状態でウロウロするだけの車も出てくるでしょう。torcetrapibの場合、CETPと結合したままHDL-Cと一緒に行動することになりますので、回収作業の妨げになるかもしれません。変なものがくっついているわけですから、狭い道で引っ掛かる(HDL-Cが本来の作用と異なる影響をもたらす)ようなこともあるかもしれません。
CETP阻害剤にはまだ分からないことが数多く残っているようです。血圧上昇リスクのない薬でもう一度大規模試験にチャレンジする余地はありそうですが、成功を期待するのは楽観的なのではないでしょうか。
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