厚生労働省のワクチン供給計画
以下、厚生労働省の計画に即して説明しましょう。2009 H1N1は感染パターンが季節性インフルエンザと異なるので、これまでの経験に即して、重い合併症のリスクが高い人を特定して接種を奨励する必要があります。新型用ワクチンは世界的に需給がタイトで、既に発注済の国でも、09/10シーズン用のワクチンの調達が完了するのは来年3月頃と、時間が掛かる見込みです。そこで、厚生労働省は以下のように優先順位を付ける考えです。
最優先: | |
インフルエンザ感染診療従事者 (救急隊員を含む) | 約100万人 |
妊婦 | 約100万人 |
基礎疾患を有するもの(喘息症 等の呼吸器疾患、高血圧症 以外の心疾患、腎肝疾患等)。 中でも1歳から就学前の小児。 | 約900万人 |
1歳以上の未就学児。 | 約600万人 |
1歳未満の小児の両親 | 約200万人 |
小計 | 約1900万人 |
次に優先: | |
---|---|
小中高生(但し、10歳以下の 小学生は可能なら最優先とする) | 約1400万人 |
65歳以上の高齢者 | 約2100万人 |
総計 | 約5400万人 |
新型インフルエンザの特徴は若い人の感染・合併症リスクが高いことで、2009 H1N1は特に小中高生で集団感染が発生しています。学生がキャリアになって家庭や地域、職場にウイルスを運ぶ可能性もあるので、ワクチン接種が特に重要です。入院例を見ると喘息症などの基礎疾患を持っている人が半分を占めるので、この人たちも重点目標になります。死亡例は各年代で満遍なく発生しているので、カバレッジをできるだけ広げる必要があります。
インフルエンザ合併症例の年齢別構成比(%)
入院例(日本) | 死亡例(世界) | ||
n | 579 | n | 448 |
5歳未満 | 19.0 | 10歳未満 | 10.5 |
5-10歳 | 55.1 | 10代 | 9.8 |
20-30歳 | 8.5 | 20代 | 18.8 |
40-59歳 | 6.2 | 30代 | 15.8 |
60歳以上 | 11.2 | 40代 | 17.9 |
50代 | 15.4 | ||
60代以上 | 11.8 |
同 リスク因子別構成比(%)
入院例(日本) | 入院例(NY市) | ||
n | 579 | n | 909 |
基礎疾患あり | 44.4 | リスク因子あり | 79 |
慢性呼吸器疾患 | 23.8 | 喘息症 | 30 |
代謝性疾患 | 4.0 | 糖尿病 | 13 |
腎機能障害 | 2.8 | 心疾患 | 12 |
慢性心疾患 | 2.6 | 免疫低下 | 9 |
妊婦 | 0.9 | 肝腎疾患 | 8 |
免疫機能不全 | 0.7 | 妊娠 | 6 |
その他 | 16.9 | 2歳未満 | 14 |
65歳以上 | 5 |
調達計画
日本はインフルエンザワクチンの自給体制を持っていますが、例年の供給量は2000万本前後なので、5400万人、つまり人口の三分の一に供給するとなると方法は二つしかありません。国内メーカーの生産体制増強、且つ又、海外製品の輸入です。日本はWHOなどの勧告に従い新型インフルエンザ対策を何年もかけて進めてきたわけですが、どういう訳か、この問題は放置されたようです。輸入は自前主義・内資系企業優遇政策に反します。かと言って、内資企業が設備増強しても、新型が流行しなかったら投資を回収するどころか設備過剰になってしまい、経営が弱体化して自給体制が崩れてしまうかもしれません。自前主義が妨げになって対策が遅れ、今になっても未だ輸入契約を結んでいないという、危機管理能力の欠如を露呈する事態になってしまいました。調達量も、人口に対する比率で見るとアメリカやフランスよりだいぶ少なくなっています。
厚生労働省の現在の計画では、国産ワクチンは10月下旬から来年3月にかけて約1800万本が供給される見込みです。1mLではなく10mLのバイアルを使えば(1瓶1人分ではなく10人分にすれば)もっと供給できるようです。それにしても足りないことに変わりはないので、海外二社のワクチンを輸入する考えです。一つは、グラクソ・スミスクラインの製品と私は推測しています。特徴は、海外のワクチンなので筋注、鶏卵培養(一般的な手法)、アジュバント入り、であることです。2009 H1N1の抗原を配合したワクチンは史上初めてなので過去の市販歴はなく、現在治験中。アジュバントは市販歴はないようですが、トリ・インフルエンザワクチン用のアジュバントとして1万例を超える治験実績があります(日本でも治験が行われました)。
もう一つの候補は、私の推測ではノバルティスの製品です。特徴は、筋注、MDCK細胞培養、アジュバント入りであること。MDCK細胞培養は鶏卵培養より生産性が高いことが長所です。トリ・インフルエンザが大流行した場合、鶏卵の調達に支障が出る可能性があるので、数多くの会社が開発しています。アメリカは未承認ですが、欧州では07年にMDCK細胞培養法で作られたノバルティスのインフルエンザ・ワクチンが承認されました(アジュバント入りではありません)。このほかに、バクスターなどがアメリカ以外の国から新型用ワクチンを受注しています。ノバルティスのアジュバントはオイル・イン・ウオーター型で、このMF59アジュバントを配合したワクチンは97年に初めて承認されました。これまでに4000万ドース(4000万回分)の出荷歴、1.6万ドースの治験実績があります。但し、MDCK細胞培養とMF59アジュバントを組み合わせたインフルエンザワクチンは、今回の新型用ワクチンが初めてのようです。
日本が輸入を検討しているワクチンは何れもアジュバント入りということになります。他の国より出遅れたので、アジュバント入りしか残っていないのでしょう。尤も、良い点もあります。アジュバント入りワクチンはトリH5N1インフルエンザ用の試作品の治験で大変良い成果を挙げました。一方、アジュバントなしのワクチンは効果が足らず、抗原の量を増やす必要がありそうです。抗原の生産能力は限られているので好ましいことではありません。もし2009 H1N1ワクチンも同じであった場合、国産ワクチンでは十分に予防できないので、アジュバント入りの輸入は保険を掛ける効果があります。
内資系企業は臨床試験をやらないようですが、海外のメーカーは現在、突貫工事で実施しています。2009 H1N1に対する抗体を持っている人は少ないはずなので、一回の接種では足りないかもしれないからです。二回でも足りずアジュバント入りしか効かない可能性があります。そこで、様々な用法を比較して最適なものを探索しているのです。
これらの試験は9-12月に結果が判明する見込みですが、そのうち、オーストラリアで実施されているCSL社のアジュバントなしワクチンの試験と、イギリスで実施されているノバルティスのMDCK細胞培養・アジュバント入りワクチンの試験の中間解析結果がNew England Journal of Medicine誌に発表されました。また、アメリカの国立衛生研究所が実施しているサノフィ・アベンティスとCSLのアジュバントなしワクチンの治験実績が記者発表されました。ベストケース・シナリオが実現したと言っても過言ではない内容です。
オーストラリアの試験では、一回の接種で95%以上の被験者が免疫を獲得しました。HA抗原の量は15mcgでも30mcgでも効果は大差ありませんでした。イギリスの試験は、アジュバントなしのワクチンもテストしていますが、今回発表されたのはMF59アジュバント入りワクチンの成績だけです。7.5mcg一回接種でも十分な効果がありました。但し、15mcgや、二回接種のほうが奏効率が高そうです。アメリカの試験では15mcgも30mcgも十分な効果がありました。若い人と比べて50歳以上あるいは65歳以上の人に対する効果は見劣りしますが、季節性インフルエンザ・ワクチンでも同じです。尚、妊婦や小児の治験はまだ結果が出ていません。
厚生労働省の計画は二回接種が前提のようですので、一回で済むなら1億人以上が接種できます。人口対比カバー率がアメリカ並みになります(一回で済むなら輸入品は不要という過激な意見も出ているようなので、結局5000万人分しか供給されないかもしれませんが。輸入品に関しては、アジュバント入りワクチンが本当に必要なのか、という疑問も生じます。免疫刺激力が高い分、ワクチンに特有な有害事象の発生率も高くなるからです。ノバルティスの試験がポイントになるでしょう。ノバルティスは日本でも治験を開始したので、この成績も注目されます。
一部で輸入ワクチンの安全性を云々する声があります。アジュバントやMDCK細胞培養など新しい技術が用いられているのでその分、リスクはありそうですが、しかし、輸入ワクチンは世界中で一社数千人規模の試験が行われています。治験成績ゼロで効果も安全性も分からないワクチンとどちらが良いかは分かりません。
最後に、ワクチンが接種できるとして、あなたは受けますか?アメリカの医療関係者向けウェブサイト、MedPageが実施したアンケートでは、受けるだろうと答えた人が53%(very likelyとsomewhat likelyの合計)、受けないだろうが39%(not very likelyとnot at all)、分からないが8%でした。プロの評価がこの程度となると、少し心配になりますね。受けないのも不安です。2009 H1N1は病原性はそれほど高くないのですが、リスク因子を持たない人でも重症例が発生しています。小児のインフルエンザ脳症や、一度軽快した後に急激に悪化する例、発熱のない症例など、予め頭に入れておかないと対処が遅れかねない事例もあるようです。マスクよりは役立つのでしょうが、to be vaccinated, or not to be vaccinated, that is the questionです。
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