2008年4月5日土曜日

ENHANCE試験の教訓

Zetia(ゼチア;ezetimibeエゼチミブ)のENHANCE試験の結果がアメリカの心臓学会ACCで発表されました。内容的には1月に発表された通りで、頚動脈アテロームの肥厚を抑える効果が確認できなかったのですが、意外な点が二つありました。画像解析のトラブルについて殆ど問題にされなかったことと、ACCが人選した四人のエキスパートの意見が非常に厳しかったことです。薬の功罪を議論するに留まらず、安易に使われていることに対する警鐘を鳴らしたのでしょう。


ENHANCE試験概要



  • 対象:ヘテロ接合型家族性高脂血症。LDL受容体の遺伝子などに変異があり血清LDL-C値が著しく高い。

  • 介入方法:6週間の導入期間を設けてコレステロール低下薬の影響をウォッシュアウトした上で、2年間の無作為割付二重盲検試験を実施。simvastatinの最大承認用量(80mg)とezetimibe(10mg:この用量しか承認されていない)を投与する群と、simvastatin(同)と偽薬を投与する群の、頚動脈アテローム退縮作用を比較。

  • 主評価項目:超音波Bモード法による冠動脈IMT(内中膜肥厚)の変化。IMTは左右の総頚動脈、内頚動脈、頚動脈洞の奥側の値の平均を採用。組入れ725人、治験離脱率12%で群間差0.05mmを検出する力は90%。

  • 02年から04年にかけてスクリーニングし、720人を無作為割付け、615人が2年間の治験を完了。主評価項目の解析対象は642人。

ENHANCE試験結果

simvastatin
と偽薬
simvastatin
とezetimibe
無作為割付数 363人 357人
薬効解析対象 320人 322人
平均頚動脈IMT(BL) 0.70mm 0.69mm
(増減)+0.0058mm +0.0111mm
総頚動脈IMT増減 +0.0024mm +0.0019mm
LDL-C(2年後)193mg/dL 141mg/dL *
増減-39%-56% *
トリグリセライド増減-23%-30% *
HDL-C増減 +7.8%+10.2%
hsCRP増減-24%-49% *
治療関連有害事象発生率29%34%
有害事象治験離脱率9.4%8.1%

IMT:内中膜肥厚。BL:ベースライン値。*:群間差は統計的に有意。


主目的が達成できなかっただけでなく、二次的評価項目も一つとして有意差が出ませんでした。有意差が出たのは、LDL-Cやトリグリセライド、hsCRPなどの代理マーカーだけでした。

アテローム・プラクはLDL-Cなどが蓄積したものです。血液中のLDL-Cを減らせばアテロームの成長を抑制できるはずで、現に、スタチンなどを用いた過去の試験の多くが成功しました。なぜENHANCE試験は駄目だったのでしょうか?

ヘテロ接合型家族性高脂血症を対象とした頚動脈アテローム試験で数々の実績を持ち、この治験の主任研究者を務めたJohn Kastelein博士は、考えられる理由として三点、挙げています。第一は、ezetimibeには頚動脈アテロームの退縮作用がない。第二は、測定技術が不適当で効果を検出できなかった。第三は、被験者のリスクが低すぎて効果を検出できなかった。博士は、第三の理由が最も有力と考えているようです。確かに、被験者のベースライン時点の平均頚動脈IMTは0.70mmと、過去の同様な患者を対象とした試験と比べて大きくありませんでした。

ただ、それにしても、LDL-CやhsCRPがこれだけ低下しているのにIMTの群間差が殆ど発生しなかったというのは奇妙な話です。また、博士は否定していますが、これまで漏れ伝わってきた話では、この治験では画像解析でトラブルが続出し、それが理由で解析が大幅に遅延した(Last patient last visitは06年の春で、結果がまとまったのは08年始め)とのことです。New England Journal of Medicine誌に掲載された治験論文にも、06年4月の段階で、単一画像に基づく解析を止めて連続画像を利用した解析に計画を変更した、と記されています。(超音波画像が一回・一箇所の測定につき一枚しかないと、画像が不鮮明で境界線がうまく読み取れない可能性があります。連続画像があれば、他の画像を代用することができるので、missing dataの発生を減らすことができます。)論文や学会で殆ど言及されなかったのは、意外な感じがします。


パネルの評価



ENHANCE試験は学会の桧舞台であるLate-Breaking Clinical Trialsのコマでは発表されませんでした。事前にシェリング・プラウとメルクが概要を発表してしまったからです。ACC側は、特別セッションで発表の場を用意すると共に、4人のエキスパートに講評を依頼しました。

私は、昨年のADA(米国糖尿病学会)のような手順を想像していました。Steven Nissen博士が二型糖尿病薬Avandia(rosiglitazone)の心筋梗塞リスクについてプレゼンテーションを行った後に、パネル・ディスカッションを行い、聴衆の質問も受け付けたのです。ところが、ACCは意外な展開でした。パネルの一人が、これから紹介する意見は4人のパネリストが事前に議論したうえのコンセンサスだと前置きした後は、Harlan Krumholz博士の独壇場でした。Zetiaは急性冠症候群の臨床的転帰を改善する効能を調べるIMPROVE-IT試験が進行しているのですが、ENHANCE試験でアテローム改善作用が見られなかった以上、IMPROVE-IT試験が成功する可能性は高くないと断じて、スタチン回帰を訴えました。第一選択でスタチンを投与して、その患者に必要なだけ増量していく。うまくいかなかった場合の第二選択は別のスタチンにスイッチする。それでも駄目な場合は、ナイアシンやフィブレート、レジン(胆汁酸吸着剤)のようなエビデンスを持つ薬を用いる。Zetiaは最後の手段、と位置付けました。

医学誌に掲載されたeditorialも厳しい内容でした。今回は複数、刊行されたのですが、その一つはZetiaの市場シェアがカナダと比べてアメリカでは著しく高いことを指摘して、製薬会社が消費者向け直接広告などの手段で販売促進した結果と決め付けました。


感想


今回のACCパネリストやeditorialの論評は、Zetiaという薬に関する科学的な議論を踏み外しているような印象を受けます。頚動脈アテローム試験は過去に複数が成功していますが、群間差は統計的に有意であっても臨床的な意味は明確ではありません。疫学的試験では頚動脈IMTが0.1mm大きいと心筋梗塞リスクが数割高い、という結果が出ていますが、介入試験では1.5-2年で0.01mm程度の群間差しか出ていません。測定誤差も考えれば、この程度の差で利く薬と利かない薬を判定することはできないのではないかと感じます

また、画像解析のトラブルの影響は本当になかったのか、という疑問も残ります。

結局のところ、パネリスト等が一番問題視したのは、薬の効能というよりはアメリカでの使われ方なのでしょう。Zetiaは単剤でのLDL-C低下作用はスタチンより小さいですが、忍容性は良好です。Zetiaが発売されたのはcerivastatinが横紋筋融解症の多発で自主回収されスタチンに対する警戒感が広がっていた時期でした。スタチン嫌いの人や、スタチンを増量したくない人には持って来いの薬だったのです。

医師にとっても、メカニズムの異なる薬を少量ずつ併用することで副作用リスクを緩和する、という手法は高血圧や糖尿病で馴染みがあります。併用は費用が膨らみますが、Zetiaの活性成分とsimvastatinを配合したVytorinは、Zetiaより少し高いだけでsimvastatinより安いので、お買い得になっています。

ZetiaとVytorinは、このような理由で年商50億ドルを超える大型薬になったのですが、一つだけ、問題がありました。アウトカム試験が中々実施されなかったことです。やっとIMPROVE-IT試験が開始されましたが、今回、組入れを拡大することになったため、結果が出るのは早くて2012年になってしまいました。Zetia発売の10年後です。その間、医師や患者は、Zetiaがスタチンと同様に心筋梗塞を予防してくれるのかどうか、分からないまま使い続けることになります。

更に、もしENHANCE試験の画像解析に大きなトラブルが発生していなかったとしたら、結果発表が2年近く遅れた理由が問題になります。昨年、Forbes誌は、ENHANCE試験の結果発表が遅れているのは不都合な真実を隠しているのではないか、という疑惑を報じました。シェリング・プラウは経緯を公表し、反論しましたが、こうなってくるともう一度、この疑惑を検証し直す必要が出てきます。議会が介入したので、当事者の証言が明らかになるでしょう。

アメリカの医師や患者は新薬に前向きですが、時々、使いすぎることがあります。承認されていない用途に使ったり、必要以上に大量に投与したり、第二選択薬を第一選択薬のように用いたりすることがあります。近年、安全性問題が大きな議論を呼んだケースは、殆どが、安易な使用に関連しています。そのせいか、安全性問題発覚後の需要の落ち込みも、他の国に比べてアメリカが大きくなります。

今回の事件はエビデンスに基づいた医療の重要性を再確認する機会になった、といえるでしょう。エビデンスがない薬は、他に治療手段がないやむをえない患者だけに用いるべき、というのが教訓です。医師や患者がこのような姿勢を貫けば、製薬会社はエビデンスを作ることにもっと力を入れるようになるでしょう。

参考リンク




0 件のコメント:

コメントを投稿

Valsartanは名古屋では引き分けに

次は、同じくACCのLate-breakerで発表されたNagoya Heart Study(NHS)です。試験の内容や結果は納得できるものですが、分からないのは、Kyoto Heart StudyやJikei Heart Studyとの関係です。この二本の試験ではvalsart...