2010年6月20日日曜日

ARBと癌

ARBの安全性について気になる話が出ています。FDAはolmesartanの長期試験で心血管疾患による死亡者が多かったことについて、検討を始めたことを公表しました。数日後にはLancet Oncology誌に、ARBの試験で癌の発症が多かったというメタアナリシスが刊行されました。FDAの検討・結果発表が待望されます。

この問題は私如きが迂闊に論じるのは不適切なのですが、知識を整理するために事実関係を復習したので、ここにメモしておきたいと思います。あくまで、メモです。

その前に、ARBを服用している人を不安にさせてはいけないので一言書いておきましょう。ARBのような降圧剤は高血圧患者が心筋梗塞や脳梗塞を起こすリスクを削減することができます。今回、話が出ているolmesartanの脳心血管疾患死亡リスクやtelmisartanなどARB全体の癌発症リスクは、そのような疑いが生じたというだけで確立した話ではありませんし、リスクの程度も、脳心血管疾患を防ぐ効果と比べれば小さいようです。問題視されているのは服用者が多く、小さなリスクでも世界中合わせれば多くの人が影響を受ける可能性があるからです。

患者は一人一人異なるので、特定の患者をどのように治療するか判断できるのは担当医だけです。心筋梗塞を発症して再発リスクが高い人と、メタボで腹囲や血圧が少し高いだけの人では最適な治療方針は異なるでしょう。情報は幅広く収集すべきですが、自分一人で結論を出さずに、心配なことがあったら担当医に相談するのが一番良い方法です。

さて、Lancet Oncologyの論文は読んでいないのですが、分析対象の試験のうち中心になったのはtelmisartanの三本の大規模試験、ONTARGET、TRANSCEND、PROFESSのようです。telmisartanはONTARGETとTRANSCENDの結果に基づいて心血管疾患リスクを削減する効能が欧米で承認されました。米国は諮問委員会でも議論されましたが、その時にベーリンガー・インゲルハイムが用意したブリーフィング資料に基づいて、データを見てみましょう。

ONTARGETとTRANSCENDでは癌のリスクに関して通常以上の監視報告体制が取られました。ONTARGETで対照薬に設定されたramiprilが、HOPE試験で癌の発症数が多かったからです。ベーリンガーの薬ではありませんが、HOPE試験とtelmisartanの二本の試験は何れもカナダのMcMaster大学のS. Yusuf博士等が中心になって実施しました。この機会にramiprilの安全性を確認する意図だったのでしょう。


HOPE試験の癌発症データ
 偽薬群 試験薬群
n4,6524,645
重篤有害事象:癌3554
発生率0.75%1.16%

注:被験者の平均年齢は66歳、平均追跡期間は3.5年。


ONTARGET試験は、telmisartanとramiprilを併用した群で癌の発生リスクが1.14倍と、僅かですが統計的に有意に多いという結果になりました。telimisartanだけを投与した群では有意な差がありませんが、もしramiprilにリスクがあるのだとしたら、安心できません。実薬対照試験の弱点です。


ONTARGET試験    併用群    telmisartan群ramipril群
n8,5028,5428,576
癌発症・死亡数824762735
癌発症・死亡率9.7%8.9%8.6%
百人年当りHR1.141.05
95%信頼区間1.03、1.260.94、1.16
致死的癌242200204
百人年当りHR1.20.99
95%信頼区間1.00、1.450.81、1.20
BL時点で癌では
なかった人 n
7,9688,0018,032
癌発症・死亡数690645625
百人年当りHR1.121.04
95%信頼区間1.01、1.250.93、1.16

注:HRはハザードレシオでramipril群に対する比率、BLはベースライン。被験者の平均年齢は66歳、メジアン追跡期間は4年8ヶ月。



一方、TRANSCEND試験ではハッキリしない結果になりました。無作為化割付された全ての症例の解析では偽薬より多かったものの有意水準までは届いていません。しかし、BL(ベースライン)時点で癌と診断されていなかった人だけの解析では有意差が出ています。

脳梗塞再発予防試験PRoFESSでは偽薬より少しだけ少なく、有意差はありませんでした。この試験は癌を密接に監視する体制が取られなかったのでデータの信頼性がやや低く、また、BLで癌と診断されていなかった人の解析はありません。



telmisartan群    偽薬群    
TRANSCEND試験:
n2,9542,972
癌発症・死亡数236204
発症・死亡率8.0%6.9%
百人年当りHR1.78
95%信頼区間0.97、1.41
致死的癌6665
百人年当りHR1.02
95%信頼区間0.73、1.44
BL時点で癌では
なかった人
2,8092,827
癌発症・死亡数206169
発症・死亡率7.3%6.0%
百人年当りHR1.24
95%信頼区間1.01、1.52
PRoFESS試験:
n10,01610,048
癌発症・死亡数326340
発症・死亡率3.3%3.4%
百人年当りHR0.92
95%信頼区間0.79、1.05
致死的癌7173
百人年当りHR0.95
95%信頼区間0.83、1.08

注:TRANSCEND試験は平均年齢66歳、メジアン追跡期間4年8ヶ月、PRoFESS試験は66歳、2.5年で脳梗塞再発予防効果を調べたものであることが他の二本と異なる。


ONTARGET試験の併用群は単剤投与群より副作用が多いだけで効果は同じという結果になったため、この用法は正式には承認されていません。単剤投与に関するエビデンスは、三本の試験のうち二本でシグナルが見られ、一本では全く見られませんでした。発生部位は特別な偏りはなく、この年代の人に一般的な肺癌や前立腺癌がtelmisartan群でやや多かったのですが、イベント数が少ないので統計学的な有意性を検討しても無意味でしょう。

新薬の副作用リスクを早期に把握するために、特殊なマウスやラットに著高量を長期間投与する試験を行うのが通例です。人間に何十年も投与する試験を行うのは不可能ですが、寿命の短い動物ならほぼ一生に亘る投与も可能です。telmisartanも、candesartanも、長期癌原性試験で懸念は浮上していません。

臨床試験で発癌性を検討することは殆ど不可能です。発がん物質と認定されているものでも誰かを癌にしようと思ったら、著高量を何年間も投与しなければなりません。ONTARGETのような大規模な試験でも答えは出ないのです。逆に言えば、たった4-5年投与するだけで癌になるとしたら、発癌物質ではなくプロモーターとして機能しているのでしょう。偶々発生した小さな癌の成長を促進し、結果的に、発見され易くするのです。しかし、ARBがプロモーターになるという話は聞いたことがありません。

臨床試験では何百という有害事象項目が報告されますが、評価項目が多ければ多いほど、偶然に有意差が出てしまうリスクが高まります。p値が0.01であるということは偶然に有意差が出る確率は100回に一回という意味なので、500種類の有害事象を解析すれば5項目でp=0.01となる勘定になります。大規模な試験は有害事象のイベント数が大きくなるので、ノイズを拾ってしまう確率が更に高まります。

FDA側のブリーフィング資料でも癌について検討していますが、シグナルが明確ではないこと、癌原性試験に問題がなかったこと、ARBに癌のリスクがあるとは考えられていないことなどから、深刻な懸念というよりは偶然の悪戯であることを疑っているようです。但し、ARB全体のデータを再検討したほうが良いと記されています。おそらく、既に着手したでしょう。

EUも適応拡大を認めましたが、審査文書には癌の話は一言も出ていません。EUの医薬品評価委員会も深刻な問題とは認識していないのでしょう。

以上、まとめると、データ上はシグナルが出ていますが、俄かには信じがたい話です。癌のような稀なイベントは大規模な試験でも十分な検討はできないので、個々の治験の論文では、大きな偏りがない限り言及されないでしょう。通常は肺癌とか前立腺癌とか、部位毎に集計するので深刻な有害事象の一覧表からも漏れがちです。論文を対象とするメタアナリシスは、リスクがあった治験だけが対象になり、なかったために論文で言及されていない治験が無視されるパブリケーション・バイアスがあるかもしれません。また、リスクを検討する場合は特定の製品だけでなく同じ種類の薬のデータを総覧したほうが検出力が高いので良いでしょう。これができるのは、全てのデータを把握しているFDAだけです。Lancet Oncologyの論評者であるNissen博士が主張するように、FDAが何らかの声明・結論を出すべきです。

最後に、candesartanの心不全アウトカム試験、CHARM三試験の癌のデータも見てみましょう。この試験は慢性心不全患者の転帰を改善する効果を、ACE阻害剤服用者、ACE阻害不耐(非服用者)、心機能保持(病状が比較的軽い)の夫々について検討したものです。データはFDA諮問委員会のブリーフィング資料から拾いました。

ACE阻害剤に追加したCHARM-Added試験では、重篤な有害事象として90人の新生物が報告され、偽薬群の68人を上回りました。有意性は不明ですが簡便法で試算するとリスクは1.8倍、95%信頼区間の下限は1.05なので、ありそうです。1000人年当り発生率は9.1対5.1で、追跡期間の違いを加味しても多いです。ところが、CHARM-Alternative試験では両群同じでした。三本の試験の合計ではやや多いですが、有意差はなさそうです。Preserved試験のデータは(適応拡大申請の対象ではなかったので)記されていませんが、引き算すると、むしろ少なかったようです。これらのことから、FDAは特に深刻な問題とは考えませんでした。


candesartan群  偽薬群  
CHARM-Added:
新生物9068
発生率3.0%1.6%
致死的新生物3920
-Alternative:
新生物5959
発生率5.8%5.8%
致死的新生物2318
CHARM三試験合計:
n3,7963,803
新生物244230
発生率6.4%6.0%
致死的新生物8459

注:CHARM試験は慢性心不全の三本の試験の総称で、-AddedはACE阻害剤服用者にcandesartanを併用、-AlternativeはACE阻害剤不耐、-Preserved(癌のデータが分からないので割愛)は心機能保持患者を組み入れた。三本合計で平均年齢66歳、メジアン追跡期間3年2ヵ月。

telmisartanの試験と似たような格好ですね。三本合計値で上回っているのでリスクがないとは言えないのでしょうが、ありそうにも見えません。

沢山の患者が服用している薬で、僅かとは言え懸念材料が発見されたのは重要です。もし患者が不安になって勝手に服用を止め、心筋梗塞や脳梗塞を被ったら大変なので、FDAは早急に声明を出すべきでしょう。


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