2008年2月3日日曜日

ENHANCE試験のもう一つの側面

コレステロール治療薬の頚動脈アテローム進行抑制効果を調べたENHANCE試験の結果は、意外に大きな反響を呼びました。ImpactRxの処方箋動向調査によると、治験結果が発表された途端に、ezetimibe(エゼチミブ)を配合する薬の新患向け処方箋が大きく減少しました。

前回書いたように、この試験はトラブルが多発したようなのでデータの信憑性が低いはずです。それなのにこのような影響が出たのは、医薬品や製薬会社に対する信頼が低下しているからでしょう。今回はこの問題を取り上げましょう。


ezetimibeとは


ezetimibeはシェリング・プラウが開発したコレステロール治療薬で、脂肪が腸で吸収されるのを抑制します。承認されている唯一の用量である10mg(一日一回投与)は、血液中のLDL-Cを20%程度、トリグリセリドを10%程度削減する効果を持っています。これはpravastatinの10mgと同程度なので、決して高いとはいえません。atorvastatinの10mgなら約40%、80mgなら50%削減することができます。

シェリング・プラウはメルクと提携して、2002年にZetia(ゼチア)という製品名でアメリカで発売しました。更に、2004年にはメルクのsimvastatinを配合したVytorin(バイトリン)も発売しました。この両剤は合計年商が50億ドルを超える大成功を収めています。理由は、


  • スタチンに適さない患者に用いたり、既にスタチンを服用している患者に併用することのできる数少ない選択肢の一つであること

  • 安全性が高いこと

  • 2001年にcerivastatinが市場から回収され、スタチンの横紋筋融解症副作用に対する懸念が高まったこと

  • その後も、2003年に米国で発売されたrosuvastatinに関して民間薬害監視組織の一部やFDAの市販後監視部門の職員が安全性懸念を表明したため、スタチンのイメージが一層悪化したこと

  • Vytorinの価格はsimvastatinより低く設定されたため、simvastatinからスイッチするとコレステロールが更に低下するだけでなく薬代も安くなること

  • 薬の用量を増やすより作用機序の異なる薬を追加するほうを好むプライマリーケア医のセンチメントに合致したこと

です。ezetimibeは第二選択薬としてだけでなく、第一選択薬としても広く用いられるようになりました。LDL-Cが減少すればそれで良いのか、という一部の研究者の意見は重視されませんでした。確かにスタチンは心筋梗塞リスクを削減する効果が確認されていますが、ezetimibeにはそのようなエビデンスはまだありません。もっと効果が高い薬があるのに、単にスタチンが嫌いだというだけの理由でezetimibeを使う人が多すぎるのではないか・・・医学者がこのような疑問を持っていたとしても、ezetimibeの効果を疑わせるようなエビデンスもなかったので、公言することはできません。そのような時に起きたのがENHANCE事件なのです。


ENHANCE試験を巡る疑惑


ENHANCE試験は2006年に完了しましたが、解析に手間取ったため結果がなかなか発表されませんでした。2007年秋になって、遂に、一部のメディアが『データ隠し疑惑』を報じました。本当は既に結果が出ているの、にezetimibeの売れ行きが落ちるのを恐れて製薬会社が隠しているのではないか、という一部研究者の憶測を取り上げたのです。

データ隠しといえば、数年前に、抗うつ剤の青少年患者を対象とした試験で問題になったことがあります。製薬会社は治験が成功すると大々的に宣伝するのに、ネガティブな結果になるとできるだけ隠そうとする、という批判で、ニューヨーク州の検事総長が複数の会社の捜査を行う事態になりました。結局、和解に達したため、真相は闇の中です。

ENHANCE試験に対する注目が高まる中で、シェリング・プラウがこの試験の主評価項目を変更すると発表したため、疑惑が一層高まりました。同社は治験データの解析が難航したため、外部の研究者委員会を設けて、今後の対策を諮問した上で、委員会の意見に基づいて主評価項目変更を決めたのですが、批判の火に油を注ぐ結果になってしまいました。ENHANCE試験は研究者主導試験ですので、スポンサーである製薬会社が治験のデザインに口を出すのは、研究者にとって極めて重要な、研究の自由を侵害したような形になってしまったのです。結局、シェリング・プラウは主評価項目の変更を撤回しました、

ENHANCE試験の結果は2007年末にやっとまとまり、年明けに公表されました。ezetimibe群は主評価項目だけでなく、副評価項目でも全くアテローム抑制作用が見られませんでした。それどころか、数値上はむしろ偽薬群より若干悪い内容でした。

冷静に考えれば、前回書きましたように、この治験結果の意味は曖昧です。臨床的転帰を調べているIMPROVE-IT試験の結果が2011年に発表されるまで待つべきでしょう。FDAや学会が出した声明も概ね、結論を急ぐなという内容です。しかし、医師や大衆は冷静には受け止めませんでした。これまでの経緯や、医薬品・製薬会社に対する不信感の高まりが影響したのでしょう。


  • データ隠しとか研究の自由とか医学者の琴線に触れる問題が絡んでいるせいか、一部の学者が厳しい意見を表明

  • 中でも、医薬品の安全性に関して積極的に発言し多くの支持者を持つSteven Nissen博士が、アテロームを縮小できないなら第一選択薬として使うべきではないとコメント

  • マスコミも、また製薬会社が不祥事を起こしたというニュアンスで報道

  • 法律事務所がezetimibeを服用している患者に損害賠償請求を呼びかける広告を出した

90年代のフェンフェン訴訟、2000年代のVioxx訴訟、昨年はAvandia問題、赤血球生成刺激剤問題、ステント血栓問題など、医薬品や医療機器に関する事件が起きる度に、マスコミは薬品会社バッシングを行います。アメリカは患者の発言力が強いので、医師の評価とは別に、患者がネガティブな報道を読んで止めたいと言い出したらなかなか翻意させられません。ENHANCE試験の場合はマスコミの取り上げ方も比較的冷静なのですが、それでも処方箋動向に影響が出たのは、消費者がこのような問題に従来より敏感になったことを示しているのではないでしょうか。

ezetimibeを第一選択薬として服用している人の中には、スタチンの副作用に関する報道を読んで偏見を持っている人も多いでしょう。そのような人はezetimibeよ、お前もか、と慨嘆しているでしょう。




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